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「災間」の社会を生き抜く術(すべ/アート)とは? たっぷり語った18時間、11万字を超えるレポートを公開しています!

災間の社会――すなわち、異なる災禍の「間」に生きるいま、誰もが災禍の当事者になりうるといえます。それと同様に誰もが何らかのかたちで支援者となりうることもあるでしょう。そのとき、わたしたちには、どのような「かかわり」がありうるのでしょうか? 

2021年7月から12月にかけて全6回で開催したTokyo Art Research Lab ディスカッション「災間の社会を生きる術(すべ/アート)を探る」。災禍にかかわる現場に立つには、いったい、どんな態度や技術、方法がありうるのか?災害復興について異なる経験をもった3人のナビゲーター(佐藤李青宮本匠高森順子)が、全国各地から経験豊富なゲストを迎え、参加者とともに議論を重ねました。その様子を収録したレポートをウェブサイトで公開しています。ここでは、各回レポートをダイジェストでご紹介します。

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第1回|災禍に、どうかかわるのか?ー外からかかわる、「ままならなさ」と向き合う

ナビゲーターの佐藤李青(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー)、高森順子(愛知淑徳大学助教/阪神大震災を記録しつづける会事務局長)、宮本匠(兵庫県立大学大学院減災復興政策研究科准教授)が話題提供として、それぞれの経験や視点を共有しました。地域の外からかかわるとは? 記録を編集する実践とは?「災間」であることを受容するのは、どうすればよいか? その後の議論につながるキーワードや論点を洗い出すような回になりました。

災害が多発しているので、一人ひとりにとっては大きな節目だけれども、それがかつてのように社会全体で「節目」として共有されないですよね。外からの回路が生まれにくくなっています。だからこそ、コミュニケーションを増やしていくことが大切なんだと思います。

(ディスカッションより)

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第2回|どういう態度で、現場に立つのか?ー「めざす」のか、「すごす」のか|ゲスト:吉椿雅道さん(CODE海外災害援助市民センター事務局長)

ゲストに阪神・淡路大震災以降、25年以上にわたって国内外の災害支援に携わってきた吉椿雅道さん(CODE海外災害援助市民センター事務局長)を迎え、災害の現場での「聴く」ことからはじめる実践のありかた、その土地に伝わる知恵(土着知)を知ることの重要性などを議論しました。

僕が支援活動をしているなかでいつも思うのは、支援を通じてその地域の防災や減災のあり方を考え直さなければならなくなるが、その種はそこで住む人々の暮らしのなかにあるということだ。その地域の文化や習慣が、そのまま防災、減災、復興に活きる。

(吉椿雅道さんのゲストレクチャーより)

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第3回|何からはじめるのか? どう続けるのか?ー 記録から表現に向かう道のりと変化|ゲスト:瀬尾夏美さん(アーティスト)

東日本大震災後に東北へかかわり、記録や表現活動、対話の場づくりをしてきた瀬尾夏美さん(アーティスト)をゲストに迎えました。「他者のことばを書く」ことを続けてきた経緯や手法、コロナ禍での活動を伺い、ある経験を分かちもつための「語り」の可能性を議論しました。

「語り」は「場」をつくってくれる。私はできることがないと思い、ただ立っているんだけど、人が2人いて話をはじめれば、どんな状況においても「場」が生まれて、笑いが生まれたり、安心感があったりする。そういう風に何かはじまるんだなというのが原体験だと思う。もちろん、震災後の現場にいるので大変な被災の話なども聞く。聞いてしまうと、「じゃあそれをどうにかしよう」と人は考えてしまうもので、そこから私の活動がはじまっている。

(瀬尾夏美さんのゲストレクチャーより)

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第4回|出来事を伝えるためには、どうすればいいのだろうか? ー経験を伝承するための方法|ゲスト:山住勝利さん(NPO法人ふたば/災害学習ラボ室長)

阪神・淡路大震災の経験から学び、伝える活動をしているNPO法人ふたば/ふたば学舎・震災学習ラボ室長の山住勝利さんをお迎えし、災禍の経験を「活動」や「ことば」で伝えることの考えかたや難しさを伺うことから、教えること/学ぶこと、経験を思い起こすことなどへ議論は広がりました。

震災の記憶、特に個々の被災の記憶を伝達することは難しい。不可能なことかもしれない。それでも伝達しようと思ったら、冒頭のアレントの引用にあるように、何らかのかたちで外に出さない限り消え去っていくだろう。言葉がなかなか見つからなくても、震災の記憶にこだわってしっくりくる言葉が出てくるのを待ち、なんとか記憶を伝えるということが被災者の責任というものになるのかもしれない。

(山住勝利さんのゲストレクチャーより)

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第5回|アートは、災禍に、どうかかわるのか? ー 異なる災禍へのかかわりから|ゲスト:坂本顕子さん(熊本市現代美術館学芸員)

ハンセン病や水俣病、平成28年熊本地震、令和2年7月豪雨などの災禍にたいしてアプローチをしている熊本市現代美術館学芸員の坂本顕子さんをお迎えし、地域の災禍にかかわった美術館の活動を伺い、美術館という場所の役割や災禍を伝える「もの」や「こと」のありかたなどを議論しました。

印象深かったのは、本震から10日後の2016年4月26日頃から、開館の問い合わせが急増したこと。「なぜいま問い合わせが?」「本当にみんな美術館にくるの?」と疑問があった。当時は、被災して間もないなかで美術館を開けていいのか逡巡した。しかし、桜井武館長は「まちなかがこういう状況だからこそ、早く美術館に光を灯しましょう」と言った。5月11日(本震から24日後)、無料スペースのみ開館した。初日は214人の方々が来られた。「ベビーカー押している方がこられてますよ」とスタッフに聞いた。「余震が怖くて、誰かがいる場所にいたい」と言っているという。そんなニーズがあるのだと思った。他の施設が閉まっており、ジブリなど人気の展覧会もあったため、この年は開館以来、一番の入場者数となった。地震という非日常のなかで、美術館というまた別の非日常の体験をするということが必要な方たちがいるのだということを実感した。

(坂本顕子さんのゲストレクチャーより)

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第6回|災間の社会を生きる術とは何か?

最終回として、これまでの議論を3人のナビゲーター(佐藤李青、宮本匠、高森順子)の視点で振り返りつつ、参加者のみなさんから事前に提出していただいたレポートでの意見を交えて議論しました。災間を生きる困難とは? 「待ち構え」という態度が必要ではないか? どうかかわり続けるのか? 「災間」という言葉の可能性を見出すような回になりました。

災間を生きるということは、一人で何かを受け止めるのではなくて、パッチワークで偶然的なものとして捉えることで、引き受けられるんじゃないか。

ディスカッションより

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駆け足での紹介になりましたが、いかがでしょうか? 各回3時間にわたったディスカッションは(それでも)時間が足りなくなるほどに、多彩な論点が出てくるものとなりました。全回を通して読んでいただくのがオススメですが、気になる回を選んで読んでいただくのもいいかと思います。

近日中に3人のナビゲーターによる振り返りテキストもウェブサイトで公開予定です。こちらも、どうぞお楽しみに!

▼ ディスカッションのきっかけとなった鼎談もアーツカウンシル東京のウェブサイトで公開しています。