毒親育ちの後遺症?〜楽しめない喜べない
誰にでも楽しみにしていることはある。
友達と遊びに行く、
ちょっとしたプチ旅行、
普段頑張っている自分へのご褒美や外食、
などなど。
すごく楽しみにしている時って、
ウキウキしたりソワソワしたり、
「やったー\(^o^)/」って喜んだり
するもの…だった気がする。
さて、毒親育ちの私はどうだろうか。
楽しみにしていることが
喜びに変えられないのだ。
ましてや「やったー\(^o^)/」など
全くできない。
(中学生までは自由がほぼきかないから
高校生以降の話。)
休みの日、友達と遊びに行く予定。
できるなら早めの午前中から夕方まで遊ぶ
……なんてことはみんな普通にできたのでは?
私はというと、遊びに行くのならば
夕ご飯のおかずを3品
作ってからでないと遊びに行ってはいけない
という決まりがあった。
前もってわかっているならば
前日に買い物もしておけるが、
急に決まった場合は
買い物に行ってから作るので
当然会うのはその分遅くなる。
そして門限は17時。
抗議をして18時にはなったものの、
ちょっとでも過ぎようものなら
ブチギレされる。
余談だが、門限に関しては学校の日もだ。
18時の門限、間に合わない時もある。
部活動や居残りなどで遅くなった時、
学校の公衆電話から必ず連絡を入れる。
しかし、電話口で理由を聞かずに怒鳴られるのだ。
しかも怒鳴るだけ怒鳴ってガチャ切り。
高校生でバイトをしていたのだが、
だいたい閉店から20分で普段は業務を終え
そこから10分程で家に着くものの、
たまにはイレギュラーで遅くなることもある。
その閉店から30分が過ぎると、
バイト先に毒親から電話がかかってくるのだ。
電話に出る店長へは丁寧な口調で接し、
私に代わってくださいと伝える。
そして電話口を代わった瞬間、
「何やっているんだこんな時間まで‼︎早く帰ってこい‼︎」
怒鳴られてガチャ切り。
何やっているんだって…仕事だっつーの。
話は戻すが、
高校を卒業してからの
“休みの日に遊びに行く”は
どうなったかというと、
夕ご飯のおかずを3品作るは変わらず、
今度は“友達を巻き込む”が追加されたのだ。
車を持っている友達
→私の家まで迎えにきてくれる
→「◯◯まで乗っけてってくれたら遊んでいいよ」(補足※毒親免許無し)
または、絶対に挨拶させろのどちらか。
直接挨拶させるパターンもあれば、
私から友達の家に遊びに行く時とかは
電話口で会話させろと。
理解してくれる親友でよかったと思うと同時に
申し訳なさでいっぱいだった。
さあ、それでは“友達と”ではなく、
ひとりで出かける時はどうなのか。
「調子悪い」「◯にそう」作戦が決行される。
どんなに楽しみにしていたことでも
そういうので潰されるのだ。
常に気にかけて欲しい心配して欲しいと
いうことなのだろうか。
そして自分ばかり楽しむなということなのか。
友達と一緒だろうがひとりだろうが、
何通も何通も届くメール。
邪魔しかしない。
そんな環境で育ってごらん?
絶縁した今でもそういうのは
後遺症として残る。
(考え方次第なのはわかっているが、
そうもいかないのが後遺症。)
楽しみにしていると悪いことが起こると
インプットされてしまっている。
「やったー\(^o^)/」なんて
もう何年もしていない。
ちょっとニコッとしてしまうこともあるが、
「楽しみだな」と
思わないようになってしまったのだ。
嬉しいこともそう。
人から褒められたり、
何かもらったりした時の反応が
薄すぎるのである。
ほぼ棒読みに近いようなテンション低めの
「ありがとう。嬉しい。」
になってしまうのだ。
×××××
毒親育ちといっても
100人いれば100通りあるから
伝わらないことは多いけど。
いつか心から嬉しいことは嬉しいと
楽しみなことは楽しみと
思える日が来るといいなと思っている。
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(素敵なイラストお借りしました。ありがとうございますm(__)m)