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蓮の花。

毒親、という言葉がメジャーになって
だいぶ経ちますが

いまだに毒親に苦しむヒトは
少なくありません。

毒親という言葉だけが一人歩きしていて
どうしたら
負けないように生きられるのかは
永遠の課題かもしれません。


私には、父親違いの姉が二人。
母親違いの妹が二人います。

そんな感じでありますが、
父親も母親も、私は毒親だと思っています。

毒親を持っていて
一番辛い事は
なんでしょう。


毒親の存在?
抑圧?
支配?


いえいえ。

自分自身が
脅威になることです。


自分も、あの親と同じ血が入っている。
だからあんな風になってはいけない。

でも、なかなか
親への思いは断ち切れないんです。

そんな気持ちに苦しむわけです。


こんな記事を見つけました。


水蓮ですね。

蓮のように気高くいきられたら。

泥のような環境から生まれたから
こそ

今のような自分があるのだ


生きられたら。

自分自身が、生まれてから枯れるまで
成長できるように思えませんか?


愛蓮説 という短文の一説だそうです。


要は、

「私は泥から生まれたから
 泥にしかならないのだ」

と思ってしまうのか、

「私は泥から生まれたけれども、
 泥は私にとって養分であり、
 人生の糧である」

と思うのか。


簡単に言えば
そんな感じだと思うんです。


私は、哀しいけれどずっと前者でした。

けど今回
両親を心情から断ち切ることを決めたことで
新しく見えてきたものがありました。


父親違いの姉二人。

二人とも、淡々と生きてこられた方々です。
2人は、後者でした。

私なんかよりずっと人生の先を歩んでいる
姉2人ですが
それでも根本的な部分が、違いました。

けれども姉と話して
私も姉のように生きたいと感じました。

気高く生きることの本質は
当たり前なことを
当たり前に繰り返しながら

周りをいつの間にか
幸せにできる人なのだと感じました。

姉2人が毒親に囚われない生き方を示してくれていたことが、私にとっては本当に救いでした。

周りの人達に支えられている事に感謝です。
m(_ _)m


もっと読んでみたい!という気持ちが 何かを必ず変えていきます。私の周りも、読んでくださった方も、その周りも(o^^o)