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敬老の日に想うこと

今日は敬老の日。

敬老の日、とは
こちらにもあるように「高齢者を敬う日」です。

おじいちゃん、おばあちゃんに
「いつもありがとう」と言いましょう。
そんな日でもあります。

決して、
「高齢者を大事にしている体を表す日」
ではないことは
こちらを読んでいる皆さんは
もちろんお分かりとは思いますが。

世の中には、こうした日を利用して
「おじいちゃんとおばあちゃん大事にしてるよー」
という、表向きだけのひとが
ほとんど なのです。

その根拠を、今日はお話したいと思います。

まずそもそもの話で申し訳ないのですが、
もし、仮に表向きだけではなく
高齢者を常日頃から大事にしているなら、
「敬老の日」なんて本当に必要なのでしょうか?

普段はあまり大事にできていないかもしれないから、
一年のその日くらいは
思いを馳せる日にしよう。

そんなところなんだと思います。

では
本題になります。

本当の意味で「高齢者を大事にする」
ということは
どういうことなのでしょう?

逆説的に考えてみたいと思います。

たとえば
おじいちゃんやおばあちゃんは
こどもたちや孫たちに
何かをしてあげたい、と考えますよね。
お小遣いをあげたい。
お祝いをしてあげたい。

ほしいものを買ってあげたい。
おいしいものを食べさせてあげたい。

これらをかなえさせてあげる。
そうすれば、おじいちゃんやおばあちゃんは
喜んでくれる。
私たちもうれしい。win-winじゃない?

ほんの一例ですが。

そんなことがよくありますね。

単刀直入にいいます。

本当に「高齢者を大事にする」ということは
「お互いにとって良い」とは
限らないことがほとんどです。

この場合
高齢者の立ち位置は
「孫の喜ぶ顔が見たい」という
純粋なきもちです。
それがかなうなら、幸せだとかんじるのですよね。

孫側の言い分はどうでしょうか。

「おばあちゃんの気持ちはうれしいけど
私はお父さんとお母さんに大事にしてもらっているから
大丈夫。」

そんな風に言葉で言えるお孫さんは
今の日本に、どれくらいおられるのでしょうね。


相手の善意に甘えることは
それは同時に
「自分のわがままを貫く」ということでもあります。
当然ですよね。

高齢者を本当の意味で大事にすること。

「私たちは今
おじいちゃんおばあちゃんのおかげで
幸せに暮らせています」

と、心底からいえることなのではないでしょうか。
その重さが、分かっていただけるでしょうか?

解らないかもしれませんね。
それでも、良いと思います。
そうだからといって どうということはないのです。

ただ、そのことの重さに気付く日が
いつかきっと来ると思います。


敬老の日。

今日、ご家族で過ごされた方も
多いことと思います。

そんな中で
介護が必要な家族との
適切な距離感は、どのぐらいなのか。

思い悩む人は 多いのではないでしょうか。
本当に大切にするということは
どういうことなのだろう?
ふと、立ち止まって考えたことが
みなさん あるのではないでしょうか。


次回はこの「要介護者との適切な距離感」について
お伝えできればと思います。

ありがとうございました。



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蒼空春佳
もっと読んでみたい!という気持ちが 何かを必ず変えていきます。私の周りも、読んでくださった方も、その周りも(o^^o)