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頑張った自分に素直になろう



こんばんは🌃 今日はなんだか家で過ごしたい気分でした。

私はどうも、昔から、ひどく我慢をする癖が強い傾向にあります。

おかげで、心身のあちこちに我慢の代償が現れ、一時は、「こうしていれば、我慢強い人になれる」なんて、肯定的に思っていたけれど、実は、自分の心身の悲鳴に気づかないふりをしていただけ。
我慢することにメリットはほどんどないと、今は思います。

我慢をしすぎてきたためか、「頑張った自分を褒める」、「頑張ったら、『頑張ったね』と自分に声をかける」、「労う」ということが、自分でも嫌になるくらい非常に不得意です。

私は、疲れた時にきき湯やバブをお風呂に入れるのですが、先日、少し戸惑ってしまいました。

なぜ、戸惑ったのか、というと、「今ここで、自分を労うべきなのか、それとも、もう少し頑張ったら労うべきなのか」という謎の疑問にとらわれてしまったからです。

「頑張ったなら、素直に頑張ったと自分自身を労えばいいじゃないか」。

そう思う自分がいる一方で、これまで我慢することを知ってきた自分が、「いや、明日も頑張るんだから、明日、自分を労えばいいじゃないか」と後回しにしようとするのです。

もっと頑張ってからでいい。もっとやってからでいい。もっと動いてからでいい。

そんなふうに、後回し、先伸ばしにする自分を自覚した時、「疲れたなぁ」と思いました。そうやって、今、疲れている自分を労えない自分に「疲れたなぁ」と思いました。

自分自身を労うのに、どうして、立ち止まる必要があるのだろう。

今日、自分に「頑張ったね」と言えないということは、明日もその先も、「頑張ったね」と言えないのではないだろうか。

今になって気づいた気持ちです。他の人にとっては当たり前かもしれないけれど、我慢する癖が強すぎる私にとっては、大切な気づきでした。

いきなり、すぐに自分を癒す・労う方向へ方向転換することができない不器用な自分だけど、それでも、少しずつ、今日を生きた自分を大切にできる方法を探して、実践していきたいと思います。

まずは、早く寝て、体を休めることかな?



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