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#ネタバレ 映画「ボヘミアン・ラプソディ」
「ボヘミアン・ラプソディ」
2018年作品
我が父の教えたまいし歌
2018/11/12 17:53 by さくらんぼ
( 引用している他の作品も含め、私の映画レビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )
「人は人に奉仕すること(善き事)で幸せになれる」のでしょう。自分一人だけでは幸せになれないのかもしれません。
たとえ社長になっても、総理大臣になっても、クイーンになっても。
フレディも成功して豪邸を構えましたが、ペットの猫がいるだけのガランとした大豪邸は、彼の孤独をいっそう冷やしました。とにかく人を呼んでばか騒ぎをしたくなる気持ちが、ウサギ小屋に住んでいる私にも分かるような気がして、痛い。
無名の頃は、「善き考えを、善き事を…」と説教する父に、「それで成功したのか?」と反論して家を飛びだしてしまったフレディ。
しかし映画のラスト。家族を含め、沢山の人から祝福されて「ライヴ・エイド」に出演する彼は、父の教えを、しみじみと、かみしめていました。
★★★★
追記 ( トランプさんへの手紙 )
2018/11/12 21:43 by さくらんぼ
>「人は人に奉仕すること(善き事)で幸せになれる」のでしょう。自分一人だけでは幸せになれないのかもしれません。
映画「華氏119」がストレートにトランプさんに宛てた手紙なら、映画「ボヘミアン・ラプソディ」は変化球なのかもしれません。
アメリカも自分一人だけでは幸せになれないのです。
映画のチラシ、フレディがシルエットで歌っている向こうには、スタジアムらしきものが見えますが、(トランプの)壁のようにも見えます。
マイクを持って、のけぞるフレディは、壁の前で嘆き悲しむ移民・難民のよう(さらに深層的には、股間のマイクは元気な男性のシンボルであり、無意識のセクシーさで、客寄せをしているようですが)。
追記Ⅱ ( 両親たちの苦労 )
2018/11/12 21:58 by さくらんぼ
劇中、フレディが父に「なぜ移民したの?」と聞くと、「迫害されたんだ」みたいな話がありました。両親も苦労したようです。
「 フレディは、当時イギリス領だった、東アフリカ・タンザニアにあるザンジバル島のストーン・タウンで生まれた。
両親のBomi(1908~2003)とJerBulsara(1922~2016)は、ペルシャ系インド人であるパールシー。彼の名字のバルサラは、インド・南グジャラートの町であるバルサードに由来する。植民地のオフィスで会計係として働く彼の父親が仕事を続けるため、ザンジバルに移った。彼の妹にKashmiraがいる[2]。 フレディは、インドで幼少期の大半を過ごした。・・・
1963年にザンジバルに戻り家族と一緒に暮らし始めたが、その翌年ザンジバル革命が起こり、アラブ人とインド人の多数の死傷者が出た。当時17才のフレディとその家族は、安全上の理由でザンジバルから逃れた[8][9]。家族は、イングランドのミドルセックス州フェルサムにある小さな家へ移り住んだ。フレディはウェスト・ロンドンにあるアイルワース工業学校(現在のウェスト・テムズ・カレッジ)に入り、芸術を学んだ。」
( ウィキペディア 「フレディ・マーキュリー」 生い立ち より抜粋 )
追記Ⅳ ( 造花と生花 )
2018/11/13 10:16 by さくらんぼ
エンドロールに、(ドラマではなく)本物のクイーンの演奏風景が流れます。
やはり本物はすごい。
映画を観ている時は、映画の中の彼らは凄いと思っていましたが、本物と比べると、熱気というか、ほとばしり出るものに、造花と生花ほどの違いがありました。
追記Ⅴ ( ハワイでも北帰行 )
2018/11/13 13:53 by さくらんぼ
>フレディも成功して豪邸を構えましたが、ペットの猫がいるだけのガランとした大豪邸は、彼の孤独をいっそう冷やしました。とにかく人を呼んでばか騒ぎをしたくなる気持ちが、ウサギ小屋に住んでいる私にも分かるような気がして、痛い。(本文より)
私が初めて海外旅行をしたとき、当時の正式名称は何と言ったか忘れてしまいましたが、その飛行場は国際線待合室が、区役所の一階ロビーぐらいの広さでした。NHKが流れる大型TVと、駅のキオスク程度の売店がありました。
狭いから人口密度が高く、一人旅でも、団体旅行のような雰囲気でした。
夜7時頃、すぐ隣、話しかけられるほど近くでは、ハワイに出発する見知らぬおじさんたちが、缶ビールで酒盛りをしていました。(一人旅の私は、まるでお仲間に入れてもらったように)その賑やかさが嬉しかった。あれは、まるで小さな花見の宴。
何年かの後、空港がリニューアルされ、近代空港らしくなりましたが、待合室が広大になったため、行先ごとに、待合コーナーが分散されてしまったようです。大きな空間ばかりで、人がどこにいるのか分からなくなりました。
ロビーから、旅の喜びと熱気が消え、人々の間には、北帰行の旅人みたいな雰囲気が漂うようになりました。
ところで、「フレディのガランとした大邸宅」は、ラストの超満員「ライヴ・エイド」と対になっているのだと思います。もちろん建物の物理的規模が同じだと言っているわけではありません。フレディはたくさんの人を招いて仲良くしたかったのです。
そして偶然でしょうが、映画に描かれている通り、彼はLGBTのBだった可能性もあり、それにも繋がっていきます。
追記Ⅵ ( 建物と管 )
2018/11/13 14:08 by さくらんぼ
シュノーケルをする人なら知っていますが、流体力学の問題なのでしょうか、細い管だと息が苦しいのは容易に想像できますが、太すぎても良くないようです。
自分の肺活量にあった太さが一番良いのだとか。簡単にいうと、普通、男性よりも女性は細い管を使います。
これ、人の数と、建物の規模のマッチングから、思いだしましたので。
追記Ⅶ ( たとえば写真で )
2018/11/13 14:15 by さくらんぼ
>映画を観ている時は、映画の中の彼らは凄いと思っていましたが、本物と比べると、熱気というか、ほとばしり出るものに、造花と生花ほどの違いがありました。(追記Ⅳより)
この事が、最後になって、少し映画の感動に水を注した感がありました。
監督は(演技と本物に落差があるのを)最初から当然気づいていたはずですが、結果的に何もケアしなかったように見えるのが不思議です。
私なら、演技指導で解決しなければ、本物は動画ではなく、たとえば写真を何枚も張り付けたかもしれません。余韻を大切にするために。
( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)