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#ネタバレ 映画「パターソン」

「パターソン」
2016年作品
片岡義男さんがいた青春
2017/9/4 22:32 by さくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

1970年代の後半、私はあまり仕事に乗り気ではなく、毎日がブルーでした。でも、その気分を紛らわすため、良いことを思いついたのです。

①当時はバス通勤でしたが、夢中になっていた片岡義男さんの小説にある詩情を真似し、車窓から見える何気ない風景を言葉にして楽しんでいたのです。いえ、楽しむというよりも、そこに「ひと時の救いを求めていた」のでした。

②そしてリタイアした今は、毎日のように近所の公園で体操したりウォーキングしたりしています。樹木が芽吹き、新緑になり、やがて紅葉を迎えて散り、冬木立になる。そんな毎日の移ろいを楽しんでいます。

①については、苦しみの中、美に向けられた感度だけを一時的にUPしていました。

②については、リタイアしたせいもあり、苦しみというノイズが減ったので、相対的に視野が開け、何でもない景色が美しく見えるようになりました。

私にはカメラやポエムの趣味も能力ありませんが、この様に若いころからパターソンのような視点を模索していましたので、彼の世界観をことさら新鮮にも、斬新にも感じませんでした。

ただ、この映画はどこか哀しいのです。その哀しさがどこから来るのか、そこに映画の正体があるのでしょう。

★★★☆

追記 ( 哀しみの正体 ) 
2017/9/5 9:39 by さくらんぼ

( 映画「シックスセンス」のネタバレにもふれています。)

少し大胆な仮説を立ててみます。映画のチラシに、「カーテンのすき間から射し込む朝日の中、まだベッドで微睡んでいる二人の写真」があります。二人とブルドッグ一匹があの家のファミリーです。

しかし、映画「シックスセンス」のように、彼は存在しても、存在しないのかもしれません。それがこの映画に流れている哀しみの正体なのかも。

あるいは映画「ローマの休日」のアン王女みたいな存在。国を代表するアイドルでも、国民との真の交流はなかなか叶わない。だから彼女も国民も哀しい。

私は映画「パターソン」から、この二本の映画を連想しました。

映画「パターソン」に出てくる主人公の名もパターソン。彼はここで生まれました。そして、町と同じ名を与えられ、ここで暮らし、働いています。町中を動き、人々を、町を見つめるバスの運転手をして。

上手く説明できませんが、きっと彼は「町の精」のような存在なのでしょう。映画では擬人化、視覚化されていますが、ほんとうは「見えない町の精」。彼は町に住む人たちの「心の中にだけ存在」するのかもしれません。

追記Ⅱ ( 犬だけが知っている ) 
2017/9/5 10:22 by さくらんぼ

ペットのブルドッグ君は、パターソンが仕事から帰宅してもまったく喜ばないのです。まるで彼が存在しないかのように無反応。犬を飼ったことのある方ならその異常に気づくはずです。

パターソンは仮にもご主人。何かの理由で、彼をあまり好きでなかったにせよ、ご主人が帰宅すれば一定の御愛想をふりまくはずなのに。それに散歩もさせます。犬は散歩させてくれる人が大好きなのに。

そして映画の終わりには、犬がパターソンの椅子に座っているシーンがあります。「そこは彼の席でしょ。おりなさい」と優しく言う妻。しかし犬は動きません。きっとパターソンは彼女の妄想だからでしょう。

では、なぜ犬とパターソンは対立しているのか。散歩の途中、毎度バーで休憩する彼を待つ、その腹いせなのかもしれませんし、女をめぐっての嫉妬なのかも。でも、それよりも単純に、犬は散歩すると町中にオシッコなどしますね。犬は町に対してあまり敬意を払っていない生きものだからでしょうか。

追記Ⅲ ( 感性もいろいろ ) 
2017/9/5 15:33 by さくらんぼ

1990年代の前半、安いLDプレーヤーを手に入れたので、輸入盤LDの「いわゆる環境ビデオ」を買ってみました。海岸と森林の映像集です。しかし、あまり癒されませんでした。

今度は日本人が作ったものを買いました。そうしたらとても良かったのです。結局あれは、作り手と受け手の「感性のミスマッチ」だったのでしょう。日本人は手つかずのジャングルのような骨太の大自然よりも、いくらか人間の手が入った山里の風景や、繊細な詩情に、やすらぎを感じるのではないでしょうか。

この映画「パターソン」にも映像によるポエムがたくさん出てきました。もちろん言葉の詩も出てきますが、劇中で「詩を翻訳する愚」が語られているように、ダイレクトに映像からポエムを感じ取って欲しいようです。しかし、その映像もどちらかと言えば輸入盤の世界のようでした。

追記Ⅳ ( 旅人が求めているもの ) 
2017/9/6 8:37 by さくらんぼ

もし宇宙人がやってきたら、交渉する地球人代表は誰になるのでしょう。国連代表になるのか、米国大統領になるのか。映画「地球が静止する日」では、一人の科学者と市民が、偶然その大役を務めました。

この映画でも「敬愛する詩人のゆかりの地として、パターソンの町を訪問した旅行者(彼も詩人)」役で、永瀬正敏さんが出てきます。そしてパターソンと会話するのですが、パターソンが「町の精」ならば町の代表としても適役ですね。

追記Ⅴ ( 良き理解者がいない孤独 ) 
2017/9/6 10:26 by さくらんぼ

この映画が少し分かったような気がします。

「天才の孤独」とか「上に立つ者の孤独」とかいう言葉があります。

この映画には象徴的な記号として「双子」が出てきます。きっと「双子ほど(お互いの)良き理解者はいない」という願望なのでしょう。

そんな中、双子でもなく、バスの運転手をしているアマチュア詩人のパターソンには、詩について語り明かせるような、心底心通う友はいないのです。画家の妻がいますが、やっぱり詩とは似て非なるもので、どこかに壁を感じます。

また、家族の一員でもあるブルドッグ(豚の記号か)は、まったく芸術を理解せず、したがってパターソンの価値を正しく判断できず、それどころか留守中には彼の書きためた詩のノートをびりびりに破ってしまいました。

詩人の孤独がいかほどのもなのか、それがラストエピソードに現れています。わざわざ日本から詩人ゆかりの地・パターソンの町を訪問した詩人役の永瀬正敏さんです。

ところが「豚に真珠」の直後で元気のないパターソン。でも永瀬さんは阿吽の呼吸で何かを察知し、彼に「これに詩を書いて…」とまっさらなノートをプレゼントして、元気よく去って行ったのでした。

「 聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう。」

( ウィキソース 「マタイによる福音書(口語訳)」 7章6より引用 )

追記Ⅵ ( 映画「10ミニッツ・オールダー 人生のメビウス」 ) 
2017/9/6 10:35 by さくらんぼ

> … 彼は存在しても、存在しないのかもしれません。それがこの映画に流れている哀しみの正体なのかも。(追記より)

この監督の作品に、映画「10ミニッツ・オールダー 人生のメビウス」がありました。以下にそのレビューを少し載せます。

「 女優の彼女は忙しいロケの合間にトレーラーの中で10分間の休憩をもらう。でも彼女はあのトレーラーの中には存在しなかったのである。10分間のほとんどを。… 」 ( 私のレビュー「ラジカセとケータイ」より抜粋 )

二本の映画の共通点は「主人公が存在しない」点です。これが、この監督の共通テーマのようですね。

この「存在しない」は、「理解されない」「心通わない」などと置き換えても良いかもしれません。

追記Ⅶ ( 逃げれば良い ) 
2017/9/6 16:29 by さくらんぼ

理解しあえる親友のいない孤独な人は、どうしたら満たされるのでしょう。

映画「パターソン」のチラシには、

「 毎日が、新しい。」

「 妻にキスし、バスを走らせ、愛犬と散歩する、いつもと変わらない日々。それは美しさと愛しさに溢れた、かけがえのない物語。」

「 自分らしい生き方をつかむ手がかりは日々の生活にある 」

などと書いてあります。

9.1問題ではありませんが、要するに何気ないそこへ「逃げれば良い」のです。

1人も親友がいなければ、10人の友人知人のところへ、1ヶ所で10%しか満たされなければ、10ヶ所の癒しポイントを回ればよいのです。お遍路さんを思いだしてください。救いを求める人々を浮気者扱いする人がいますが、私はそう呼びたくはありません。

映画によれば、バーに行ったり、滝を見たり、バスの運転手になって町中を散歩しつつ、乗客の会話に耳を傾けるのも一つの方法かもしれません。

「 でも彼女は逃げる術を知っていた。偶然かかってきた電話の中へ避難していたのである。彼女の心は彼女の体を離れて、遠く離れた電話の相手の所へ行っていたのである。10分間のほとんどを。… 」

( 映画「10ミニッツ・オールダー 人生のメビウス」 私のレビュー「ラジカセとケータイ」より抜粋 )

追記Ⅷ ( トランプの壁 ) 
2017/9/8 9:11 by さくらんぼ

>少し大胆な仮説を立ててみます。映画のチラシに、「カーテンのすき間から射し込む朝日の中、まだベッドで微睡んでいる二人の写真」があります。二人とブルドッグ一匹があの家のファミリーです。(追記より)

この映画の最深層は「トランプの壁批判」だったのかもしれません。

パターソンが大好きな、とある「マッチ箱のデザイン」。四角い箱に「青で斜めの文字」が書いてあります。残念ながらチラシにその写真が無いようですが、代わりに青い斜め文字で「パターソン」と書いてあります。

さらに彼の好きな場所が「滝の見える公園」なのです。その滝の写真はチラシにありますので見てください。これこそが「トランプの壁の記号」でしょう。

ただしトランプの壁とは違い、こちらは「滝の断面(壁)が斜め」になっており、すきまから水が漏れ落ちてきます。「壁は半開きにしておきなさい。水(人)は完全にせき止めてはいけない」と言っているのでしょう。

そしてこの公園で、有色人種の日本人詩人(永瀬正敏さん)に声をかけられ、不愛想に心を半開きにして対応するパターソン(犬にノートを破られ傷心でもありましたが)。しかし、その出会いがパターソンを救いに導くのです。

そしてチラシにある「ベッドの二人」の写真。恋人同士や夫婦は、最初は二人で一つになろうとするかもしれませんが、生まれも育ちも違う人間には難しいことです。そんな内面を表現したかのような写真ですね。左右が微妙に「潮境」(しおざかい)状態です。

二人は向き合ったり、彼が彼女を抱いたり、彼女が彼を抱いたり。

テーブルの置き物も違いますね。

枕の色も違います。彼女の枕(青)は斜めになっており、滝やマッチと符号しています。朝日も彼女の側から斜めに射しています。彼女が女神だという記号でしょうか。

彼女は絵のアーティストです。モチーフは「白と黒」(たぶん「人種」の記号。パターソンには黒人の知人が多いことや、モノクロの古い映画を観に行くのも同じ記号でしょう)。そして、この色を使って芸術的な作品を模索している彼女はパターソンの理想像。

しかし、そんな彼女とでも完全には同化できない(「潮目」が出来る)。それがパターソンが日々感じる夫婦の小さな違和感になっています。もしかしたら、これは男性視点であり、女性視点からでは気づかないかもしれませんが。

ちなみにパターソンの妻を演じたゴルシフテ・ファラハニさんの、顔だちとか、名前が気になって調べたら、イラン・イスラム共和国の女優さんだという事が分かりました。

追記Ⅸ ( かたむく郵便受け ) 
2017/9/8 9:20 by さくらんぼ

>しかし、そんな彼女とでも完全には同化できない(「潮目」が出来る)。それがパターソンが日々感じる夫婦の小さな違和感になっています。もしかしたら、これは男性視点であり、女性視点からでは気づかないかもしれませんが。(追記Ⅷより)

これをもっと分かりやすく視覚化したものが、郵便受けのエピソードでしょう。

ブルドッグはパターソンが帰宅する頃になると、玄関前に立っている郵便受けに飛びついて「傾ける」のです。

すると直後に帰宅したパターソンがそれを「垂直」に立てなおします。

追記Ⅹ ( 理想世界と「神」 ) 
2017/9/8 13:50 by さくらんぼ

>さらに彼の好きな場所が「滝の見える公園」なのです。その滝の写真はチラシにありますので見てください。これこそが「トランプの壁の記号」でしょう。(追記Ⅷより)

そして滝はまた、半開きの「パターソン自身」なのでしょう。

そして名曲「イマジン」にあるように、国も宗教も無い世界が理想なら、「パターソン」とは「神」のことだったのかもしれません。

6日間で世界を作り(バスで町を回り)、豚(犬)に聖書(詩のノート)をやぶられ、7日目には有色人種(日本人)に慰められ、聖書(詩)を書き直すための紙(白紙のノート)をプレゼントされて、半開きの壁(滝)の前で放心している。



( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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