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#ネタバレ 映画「ローサは密告された」
「ローサは密告された」
2016年作品
ある意味ホラー
2017/9/1 9:35 by さくらんぼ
( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )
私が海外旅行へ行っていたのは9.11以前でした。入国審査も甘く、アメリカ領であっても国内旅行みたいな気楽な感じでした。古きよき時代。
海外旅行ガイドには、ポッケには必ずお小遣いとは別に「100ドル札を一枚入れておけ」と書いてありました。100ドルというのはだいたい麻薬一回分の値段らしく、強盗に遭ったときはそれを渡し、相手の顔を見ずにすぐ逃げろと。お金の金額はそれ以上だと金持ちだと思われて危険だし、それ以下でも怒らせて危険だと書いてありました。今はどうなのでしょう。
ところで、他国には強盗だけでなく、役所・役人でも、あたりまえにワイロを要求する国が在るようですね。もしそんなところに旅行をすることになっても、私は漠然と、やっぱり多くても100ドル札一枚で十分だろうと思っていました。強盗と違って身の危険が無い分だけ安心だとも。
でも、この映画「ローサは密告された」を観ると、その考えは甘かったのだと思わされます。映画の後半は、密告され警察に捕まったヒロイン・ローサおばさん家族が、警察署でワイロを要求される話が続きます。
ワイロは高額な上に、身柄も拘束され、娘のケータイを警官に盗まれたりします。抗議したくても、一つ間違うと暴力までふるわれかねず、ほとんど、どこかの反社会勢力にでも拉致・監禁されたのと同じ。あまりの粘着質で日本では信じられないです。
母を人質に取られた子どもたちは、親戚縁者・友人知人へ無心に走り回ります。政府を頼ることのできない国の者たちはファミリーのネットワークを強固にするのが理解できる気がします。そうしなければ生きてはいけないから。
ドキュメンタリーのような作風で、フィリピンの闇の一部を体感でき、映画館を出た後はしばらくボンヤリしてしまいました。
ある意味ホラーです。
★★★★
追記 ( 「いじめっ子」 )
2017/9/1 14:54 by さくらんぼ
世に「いじめ」という言葉がありますが、この映画の中のフィリピン警察はまさに「いじめっ子」の体です。しかも国家権力だから救いがない。
追記Ⅱ ( 「腹が減っては戦は出来ぬ」 )
2017/9/1 15:06 by さくらんぼ
かつて「肝っ玉かあさん」という人気TVドラマがありました。タイトルから内容のイメージが想像できると思いますが、映画「ローサは密告された」のローサおばさんもまた「肝っ玉かあさん」なのです。
チラシにある写真の一枚。手錠をかけられたローサの両手の間から彼女の顔が見えます。
横を向き、方目しか見えませんが、真剣で少し哀し気です。それは彼女が他事を考えている記号なのでしょう。逮捕されたのは一大事ですが、彼女にとっては自分の逮捕よりも心配しなければならない事が他に半分あるのです。それは残された家族や店舗のこと。雑貨屋を営む商売に悪影響があったら、家族はどうやって生きていけばよいのか。
そして映画のラスト、もう少しのところで金策尽きた家族が警察の人質になり、今度はローサが無心に走らされます。彼女は心当たりの家に行き、土下座も辞さないぐらいの勢いで何とか頼み込んでお金の都合をつけてもらいました。
そして帰りの電車賃が欲しいと言って小銭までねだり、露天で立ち食いをするのです。「腹が減っては戦は出来ぬ」です。その時、偶然隣にあったのが他人の屋台雑貨店。それは彼女の想い出に似た風景なのでしょう。
ムシャムシャ食べながらその屋台を見つめる彼女には、「屋台から始めて、やっと一軒の店を持ったんだ。こんなことで、負けてたまるか!」のオーラが漂っていました。
追記Ⅲ ( 「身だしなみ」は大切です )
2017/9/2 9:01 by さくらんぼ
>そして帰りの電車賃が欲しいと言って小銭までねだり、露天で立ち食いをするのです。… (追記Ⅱより)
映画の冒頭にも、ローサが問屋で大量に食品を仕入れたとき、おつりの小銭がもらえない(「今切らしてるから飴でかんべんして…」との)シーンがあり、ローサは怒っていました。この映画、釣銭に始まり、釣銭に終わるのです。
その直後のタクシーのシーンでは、スコールが来て土砂降りだというのに、行き止まり(バックが困難みたい)とかで、路地にあるローサの家に直付けしてくれないエピソードがありました。しかたなく重い荷物を持って雨の中を歩くローサたち。「もう少し」が足りないと台無しなのです。
又、警察署では「一人の警官が身だしなみを整えてから出かけるのを、じっと見つめるローサ」という奇妙なシーンも。警官はベルトのバックルが左に片寄ったまま、みっともなく外出しようとしましたが、ドアを出たときには無事中央に治まっていました。撮影ミスなのかとも思いましたが、意図的なものであった可能性も。これも「些細だが大切なこと」という共通点があるからです。
さらに…道ばたに置いたタライで洗濯をしていたおばさんが、その石鹸水を道にザ~っと捨てました。ちょうどそこへ通りかかったローサの娘(金策に走っていた)がすってんころりん。水だって勝手に捨てて、人様に迷惑をかけてはいけません。
この延長線上には、ローサが自分の手錠ではなく、横を向いて「お店と家族を心配している」あの写真があるのでしょう。自分自身(お札)よりも大切なこと(小銭)という意味で。
同種のエピソードは探せば他にもあるはずです。
もうお分かりだと思いますが、小銭のように些細な物、些細な事でも、社会生活に大きな影響を与えます。もしかしたら、それが欠けているのが今のフィリピン社会なのでしょうか(反対に、完璧を求めすぎ、かえって歪になっているのが日本社会なのかもしれません)。映画はそんなフィリピンの問題点を描いています。
だから警官がワイロを要求し、びた一文まけてはくれなかったのは映画の「ブラックジョーク」であった可能性があります。そして、それは最近の過ぎた麻薬の取り締まり方法に対する批判でもあるのでしょう。
追記Ⅳ ( 概ね正義 )
2017/9/2 9:46 by さくらんぼ
>もうお分かりだと思いますが、…(反対に、完璧を求めすぎ、かえって歪になっているのが日本社会なのかもしれません)。…(追記Ⅲより)
例えば、学校の先生が子どもを注意するとき、概ねそれは正義の行使でしょう。至らないところがあったにせよ、誘拐犯が子供に手を出すのとはまったく次元の違う話です。ですから昔なら、父兄は「わが子が悪い。先生すみません」と思うのが普通でした。多少不満があったにせよ、先生に反論する人は少なかった。
しかし昨今は「概ね」では納得しない人もいるわけです。法律的にもモラルとしても先生に100%完璧を求め、1%の不足があればそれに反論することもあるのです。かくして概ね正義を行使した先生は謝罪し、概ね悪い行いをした子どもは放置されることに。
たまたま先生を例にとって話しましたが、似たような事は、形を変え、いろんな所で起こっているのではないでしょうか。
( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)