Punctualityと渋滞と。
土砂降り雨の音で目が覚めた今日は、ちょっとだけツイてない1日でした。
行きつけのカフェのWi-Fiが壊れていたり、第2候補のカフェは閉まっていたり、移動しようしたら何故かものすごい渋滞で、いつも5分で着くところが20分かかったり、どこに行ってもなんだか電波が悪かったり。
気分を挽回すべく、やっと辿り着いたカフェでコーヒーの代わりにココアを注文してみたり、その後少しだけお買い物したり、そんな風に過ごした1日でした。
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「渋滞」について書きましたが、これは私がフィリピンに来るまで無縁だったことの一つです。
フィリピンでは普段、車に準ずる乗り物(ジープニー&モトレラと言います)で移動しているのですが、日本では電車以外の交通機関を使うことがほぼ無かったのです。
東京で育ち、中学から電車通学。遊びに行くときも徒歩と電車移動で完結するので、バスや車に乗る機会なんて年に1度あるかどうかでした。
(スーパー余談ですが、お陰で幼い頃に乗り方を覚えた自転車すら、15年間ほとんど乗る機会を得ずペーパードライバーに成り下がりました。今乗れるかどうかわかりません泣)
という訳で、至って正確な東京のダイヤの恩恵を受けてきた来た私は、これまでの人生で渋滞に悩まされることも、それによってスケジュールが狂うことも無かったのです。
カガヤンデオロと言うこのフィリピンの地方都市に来てからというもの、そんな、とても良い意味で「予定調和な」日々は一変しました。
時刻表なんて存在しないジープニー&モトレラの運行状況。いつ停留所にやって来るかわからないし、やって来たところでいつ発車するかわからない。
だから、余裕を持って行動し、そして渋滞が起きる時間や場所を把握していなければ遅刻してしまいます。
Yahoo!乗換案内に従ってさえいればいつだって"Punctual"でいられたあの頃とは違うのです。
こちらに来たばかりの頃、初仕事の日に渋滞に巻き込まれ、かつ乗るジープニーを間違えた日は地獄だったなあ……なんて、嫌な記憶がフラッシュバックします。
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さて一方で、ではそもそも本当に「遅刻してはいけない」のでしょうか??
もちろん、一般的な日本のルールでは良くないでしょう。しかしここフィリピンにいると、10分20分30分…1時間!程度の遅れなんて、彼らにとっては誤差なんだろうなあとつくづく思わされるのです。
『フィリピノタイム』と呼ばれているのですが、フィリピン人はまず時間を守りません。約束の時間に遅れるのが当たり前ですし、何かの催事が時間通りに始まることはありません。
例えば教師向けの研修を一緒に企画している現地コーディネーターはいつもこう言います。
「通達されている案内状には朝8時開始と書かれているけど、分かるよね。これは『フィリピノタイム』だよ。もちろん本当の開始時刻は9時だから、日本人のみなさんはその時間に来てね。」
教師の行動パターンを見越しての時間設定なのです。恐るべし、根深き国民性。
フィリピン人の遅刻の理由は、先述のように渋滞であったり、さらに「雨が降ったから」とか「母に家事を頼まれたから」とか……まあ色々です。
しかしその多くは「出来事の発生の読めなさ」と「そんな偶発的な出来事に対して備えておく気の無さ」に起因する気が、個人的にはしています。
「雨が降って渋滞することも、家族に急に何かを頼まれることも、まあ事前に分かんないし、その為に早めに動いておく必要なんて無くない?始まりの時間ってそんなに大事?」
……みたいな。勝手な分析と解釈ですが。
電車が遅延したとしても始業に間に合う行動が求められる日本では考えられませんが、そんな雰囲気があるのです。
その結果としてか、まあ卵ニワトリでどちらが先か分からないのですが、「遅刻=他人の時間を奪うこと」みたいな価値観はこの国に無いようです。
個人的に「いつまで待てば良いんだ〜!」とうんざりしてしまうこともゼロではありませんが、つくづくフィリピンの方の時間への寛容さには驚きます。自分が遅れる分、他人の遅刻も気にしない。
1年を超えるフィリピン生活によって私自身もどんどん時間にルーズになっていくのを感じながら、改めて、日本人に染み付いたPunctualityの精神を思い知るのでした。
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さて、ここから余談なのですが、中学1年生の時に初めて"Punctual"という言葉を知った私は、「時間に正確なこと」をそのまま表す形容詞が存在することに小さな衝撃を受けました。
なぜこんなに時間に厳しい日本にはそういう単語が無いんですかね。時間を守るのが当たり前過ぎて、必要なかったのかなあ。誰か教えて下さい。