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#ネタバレ 映画「ドライビング・ミス・デイジー」
「ドライビング・ミス・デイジー」
1989年作品
鏡よ鏡
2018/3/18 15:54 by さくらんぼ
( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )
鏡は虚像を作るものではなく、「鏡の中には、真実の姿が映る」と言います。
チラシの写真をみると、クルマの中、バックミラー越しに、デイジーとホークが見つめ合っています。
これが重要な舞台装置。
二人はここで、友情をはぐくむのです。
映画はまだ途中までしか観ていません。
いや正確には、昔どこかで最後まで観ました。しかし若かったせいもあってか、あまりピンときませんでした。
今、観直して、しみじみ味わっています。
追記 ( おとこはつらいよ )
2018/3/20 9:34 by さくらんぼ
カップルの男女、二人っきりの夜。
男:「もう、がまんできない…。」
女:「我慢しなさい!」
とくれば、あの話になります。
この話を記号化したエピソードが、映画「 ドライビング・ミス・デイジー」にも、それとなく挿入されていました。
映画の中盤、ホークとデイジーが、遠くへドライブしている夜の会話。
男:「クルマを停めます。」
女:「どうして?」
男:「…用を足したいんです。」
女:「さっきドライブインでしなかったの。」
男:「黒人は使えないんです。」
女:「…我慢しなさい!」
男:「…」
男:「やっぱり停めます。」
女:「我慢して。」
男:「子どもじゃないんです。70歳の大人が言っているんです。」
女:「…」
そして、ホークはクルマを停めました。
追記Ⅱ ( おんなもつらいよ )
2018/3/20 9:41 by さくらんぼ
その時、さらに追い打ちをかけるように、恋に落ちる「つり橋効果」の描写も。
木陰にクルマを停めたホークは、「鍵を預かりますよ」と言って引き抜き、茂みに消えていきました。
闇の中、一人残されるデイジー。
しだいに不安が増していきます。「ホーク、ホーク…」と怯えて呼びますが、返事はありません。
数分後、やっとホークは戻ってきました。
デイジーの心がホークに接近する節目となった、記念すべきエピソードだと思います。
追記Ⅲ ( 似た者どうし )
2018/3/20 9:59 by さくらんぼ
映画「 ドライビング・ミス・デイジー」には、いろいろな要素がつめこまれていますが、やはり中心となるのは、両極端である二人の間に芽生える友情なのでしょう。鑑賞者はそこに希望を見るのです。
しかし両極端と言っても、デイジーもホークも、ユダヤ教徒と黒人という事で、どちらも偏見や差別の中に生きています。さらに、今はお金持ちのデイジーですが、それは息子の事業のせいであり、彼女が子どもの頃は、貧困の中で生きていました。そんな共通点が、心通わせる材料の一つにもなったのでしょう。
追記Ⅳ ( 映画「東京物語」 )
2018/3/20 10:10 by さくらんぼ
映画「 ドライビング・ミス・デイジー」は、「しみじみとした味わい」、「今ひとつ心通わぬ子供」、「老親が血縁のない者に癒される」、「東京見物とドライブ」、「老いの哀しみ」などで、映画「東京物語」を思いださせます。現段階ではオマージュとまでは言えませんが。
追記Ⅴ ( クルマと会話したい )
2018/3/20 10:25 by さくらんぼ
この映画、デイジーがクルマの事故を起こす所から始まります。老いたため運転を誤ったのですね。今の日本でも、高齢者の事故が社会問題になっていますので、古い話ではないと思います。
デイジーの時代は、お金持ちは運転手を雇いましたが、近未来の庶民は、自動運転車を買うのでしょう。「A.I.スピーカー」の現代、自動運転車も、クルマと会話できるようにしたら面白いかもしれません。
バックシートに座りながら、デイジーがホークと会話したみたいに(もちろん、クルマ買い替え時には、データのコピーができるよう)。
( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)