#ネタバレ 映画「栄光のル・マン」
「栄光のル・マン」
1971年作品
お洒落
2016/10/10 7:41 by さくらんぼ
( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。)
最近、CDを聴くときはCDケースも飾ることにしました。そうしないとケースが一人でどっかへ行ってしまうからです。
今飾っている内の一枚は、サンタナの「キャラバンサライ」です。そこにはブルーの濃淡で「月の砂漠とラクダ」が写っており、真ん中にはオレンジ色で「ミカンのような太陽」がドンとあります。
飾ったから意識したのですが、太陽が真円ではなく、ミカンを横から見たような「楕円形」なのですね。真円は見る者に「緊張感」をもたらしますが、楕円形は「安らぎ」をもたらします。地平線、水平線近くの太陽は、そんな風に見えるのかもしれませんが、リラックスできて「月の砂漠」にピッタリのイメージです。
昨日、録画していた映画「栄光のル・マン」の前半を少しだけ観ました。レーシングカーが夜のコースを向こうから近づいてきます。そのシーンがヘッドライトの光跡だけで描かれているところがあるのです。
あのヘッドライトの光跡は「縦に楕円形」でした。レンズか何かの影響であのような効果を生むのでしょう。この楕円の光跡がまたお洒落なのですね。真円では当たり前すぎてつまらない。これは公開当時から漠然と何か感じてはいましたが、「キャラバンサライ」を知って初めて言語化できました。
まだレビューを書いていませんでしたので、最後まで再観してから、この続きを書いてみたいと思います。今日は、主人公のレーサー、マイク・(スティーヴ・マックィーン)にこの歌を贈ります。当時から、彼の「黒子に徹する美学」に惚れていましたから。
「 目立たぬように
はしゃがぬように
似合わぬことは無理をせず
人の心を見つめつづける
時代おくれの男になりたい 」
( 「時代おくれ」より抜粋 作詞 阿久悠 ・ 作曲 森田公一 ・ 唄 河島英五 )
追記 ( 音の品格 )
2016/10/10 10:25 by さくらんぼ
ワールドカップ・サッカーが「一つのボールを使って戦う戦争」であるのなら。映画「栄光のル・マン」もまた戦争映画なのでしょう。
そしてここには、戦争映画に付き物の「爆音」がたっぷりと、そして正確に記録されているのです。それはマシンのエンジン音。フェラーリの音、ポルシェの音、ドップラー効果、車外、車内の音…カーマニアではない私ですが、あのエンジン音のなんと心地よい事か。
そこにミッシェル・ルグランの美しいオーケストラがからみ、「エンジン音とのハーモニー」が生まれます。その時私たちは「エンジン音がけっして下品では無かった」と気づくのです。
( 映画「スター・ウォーズ」2011/9/2 by「さくらんぼ」より加筆再掲 )
追記Ⅱ ( 浦島太郎 )
2016/10/13 6:47 by さくらんぼ
昔から「ポルシェ」と「フェラーリ」はBIGネームであり続けています。その人気マシーンの対決ということでも、この映画「栄光のル・マン」は、当時若者だった私を熱狂させました。
だから「栄光のル・マンは『ポンコツ』が走る映画だ!」という言葉を聞いた時は唖然としました。
その通りかもしれません。
いつのまにか時は流れ去ったのですね。
心の中では「いつも新型マシーン」が走っていたのです。浦島太郎にかけられた魔法が、一瞬にして解けてしまったよう。
しかし、それでもこの映画の魅力があせないのは、「鉄塊」に「映画の魂」が宿っているわけでは無いからでしょう。
追記Ⅲ ( 品位と謙譲 )
2016/11/3 15:10 by さくらんぼ
この「ことば」を読ませていただき、映画「栄光のル・マン」のラストシーン・祝勝会を思いだしました。群衆の中でのアイコンタクトが、しみじみと感動的です。
「 雲があると、月の表情が優しく見えるよね。みんなお互いを生かしあっているんだね。 亀田誠治
遮るもののない満月よりも、雲に囲まれ、雲の間から光を放つ月のほうが、きれいに見える。まるでたがいを持ち上げる友だちみたい。
人の陰でともに静かに笑みをたたえる顔のほうが、人を押しのけて笑いころげる顔よりはるかに美しい。
品位と謙譲が消えてなくなりそうな時代を愁え、こうつぶやいたのかも。音楽プロデューサーでベーシストのツイッター(10月16日)から。」
( 2016.11.2「折々のことば」鷲田清一から引用 )
追記Ⅳ ( MICHEL LEGRAND )
2017/5/11 8:59 by さくらんぼ
お店で廉価版JAZZ・CD・BOXなど見ていたら、「MICHEL LEGRAND SIX CLASSIC ALBUMS」なるものを見つけました。
このJAZZシリーズは大好きなので何セットも持っていますが、それにしてもMICHEL LEGRAND!?。
どうしても私にはミシェル・ルグランと読めますが、映画「栄光のル・マン」でかっこいいサウンドを聴かせていた彼は、ポール・モーリアみたいなイージーリスニングのアーティストであり、JAZZではないと思っていたので、「私の英語の読み間違い」で、別人かもしれないと不安になりました。
でも店員さんに「これ、なんと読むのですか?」などと聞くのも恥ずかしいし、結局買わずに帰ってきてしまいました。
追記Ⅴ ( 映画「東京オリンピック」(1965)、そして映画「フォードvsフェラーリ」
2020/1/10 22:27 by さくらんぼ
映画「東京オリンピック」(1965)は、躍動感がありますが、(記憶では)同時に静謐な作品でした。
私は映画「栄光のル・マン」にも、似たような躍動と静謐があったと思います。
その静謐(あるいは詩情)は、日本では熱狂的に支持されましたが、米国人にはあまり理解されなかったように記憶しています。
それでは、米国人好みの「栄光のル・マン」とはどんな作品なのか。制作された時代も違うのでいけませんが、たぶん映画「フォードvsフェラーリ」になるのでしょう。
追記Ⅵ 2023.3.18 ( リサとディレイニーの追悼 )
「 フランスのル・マン郊外で開催される、モータースポーツの祭典ル・マン24時間レース。アメリカ人レーサーのディレイニーはガルフ・ポルシェチームの一員としてこの地へ戻ってきた。前年の大会ではフェラーリの1台と衝突してリタイアし、相手のドライバーが死亡するという悲劇を経験していた。そのドライバーの未亡人リサが姿をみせ、・・・」(ウィキペディア「栄光のル・マン」ストーリーより抜粋)
リサは前回のレースで事故死した夫を追悼するために、この大会にやってきたのでしょう。それを悟った主人公・ディレイニー(スティーブ・マックイーン)は、このレースでは、加害者とも言える自分は、万が一にも、リサの前で表彰台に上るわけにはいかないと思ったのかもしれません。そんなことをしたらリサの心を逆撫でし、追悼のじゃまをしかねないからです。それがディレイニーが黒子に徹した理由なのかもしれません。
それは、ディレイニーと並走した優勝者にも分かりました。ディレイニーは自分ではなく彼を優勝させようと全力で走っていたからです。優勝者は、表彰台の壇上から、群衆の中のディレイニーにアイコンタクトでお礼を言いました。
その不思議なやり取りに気づいたリサにも、女の感で、ディレイニーが犠牲になって、リサのために追悼したことが分かりました。
そして、群衆の中にいるもの同士、今度はリサが、ディレイニーにアイコンタクトするのです。
哀しみを共有したリサとディレイニーには、被害者と加害者という垣根を超えて、心が通い合ったようです。
( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)
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