見出し画像

#ネタバレ 映画「ピアノ・レッスン」

「ピアノ・レッスン」
1993年作品

2003/5/10 17:58 by 未登録ユーザ さくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

この映画について、ある評論家の方は「ピアノは性的なものを表現している」と言われていた。だから、海に沈んだピアノと、船で待つ男の、二者選択を女は迫られるのだと。

でも、公開当時、私の解釈は少し違っていた。

「主人公の女性は、パートナーと歌を歌っていた時に落雷を受け、パートナーを失い、その精神的ショックで声が出なくなった過去を持つ。声を出すとまた悪い事が起こるのではないかというトラウマが彼女から声を消したのだ。だから今、彼女は歌う代わりにピアノを弾く。つまり彼女にとってピアノはやむにやまれぬ自己表現の一つなのだ」と、そう思っていた。

しかし、今考えてみると評論家の方の解釈はもっともだと思う。

ピアノは海(女)と陸(男)の出会う場所であるビーチに置き去りにされた。だから性的なシグナルを発信している。その上、その寂しげな風情からは満たされない気持ちまでも。

では、私の解釈はどうかというと、これも無駄では無かったと思っている。彼女は不安を感じさせない、たくましさのある男性とめぐり合いピアノを捨てたのだ。彼女は癒されて・・・やがては声を取り戻したのだと今も思っている。

追記 ( ピアノもすぐには上達しない ) 
2015/12/8 7:08 by さくらんぼ

NHKのTVドラマ「わたしをみつけて」を観ています。生後間もなく親から捨てられ、児童養護施設で育った孤独な准看護師を、瀧本美織さんが好演しています。

いまさらなのですが、演技と言うものは内面からするものであり、その内面の演技は目の光に宿るのですね。そこに迫真が生まれます。それを、あらためて思い出させてくれたのが瀧本美織さんでした。お上手です。

ところで、桜が丘病院で准看護師として働く主人公・山本弥生(瀧本美織さん)は、映画「 思い出のマーニー」の主人公・杏奈や、木枯し紋次郎と同じように、仕事以外は世間に背を向けて生きています。

理由をざっくり言えば、「そこに幸はない」と、結果的に親が洗脳してしまったからですね。それに、いわゆる「施設症」というものも有ったのかもしれませんし。

そんな主人公たちも、無意識に、自分の哀しみを理解してくれる人との邂逅を求めています。だから「わたしをみつけて」なのですね。

そこへ、現れたのが、父の様な年齢の一人の男性です。とても人徳があるらしく、弥生の元へ入院患者として入ると、お見舞い客がとぎれませんでした。

そんな彼が、ひょんなことから弥生の過去の哀しみを一瞬で理解して慰めるのですね。それに感激して涙する弥生。ここで、また彼のファンが一人増えました。

でも、あのシーンを見ていて、少し違うと思ったのです。

20年以上も一人で苦しみ続けてきたことを、突然、初対面同然の入院患者から一瞬で理解したみたいなことを言われると、「そんなに簡単に分かるはずない、そんな安っぽい哀しみじゃない!」と反発を感じて立ち去るものじゃないでしょうか。

まさに「バカにしないでよ!」なのです。表面的には冷静を装い、愛想笑いをしたとしても、それがプライドの表現です。基本的なスタイルだと思います。

たとえば恋愛でも、初対面同然の男から突然告白されて、「君のすべてが好きだ、君こそ僕がずっと探し求めていた女(ひと)だ!」と言われても、「会ったばかりで私の何が分かるというの、私はそんなに安っぽい女じゃないわ、バカにしないでよ!」と反発が起きて立ち去るのではないでしょうか。あれと同じです。

それに彼女が子供の頃、いたずら等をして養親の愛情を本物かどうか試すシーンがありました。そして、裏切られたと思って、それも心を閉ざす理由になったのです。だから今回は、なおさら容易に心を開かず、まずは、あの男性を試すのが自然だと思うのです。

このTVドラマでは、その微妙な気持ちがカットされているので、「あれ!?」と思ったのでした。



( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


いいなと思ったら応援しよう!