#ネタバレ 映画「銀座の恋の物語」
「銀座の恋の物語」
1962年作品
忘れたくても、忘れてはいけない
2012/9/14 12:54 by さくらんぼ
( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )
映画が「時代の空気」を描くものならば、映画「銀座の恋の物語」(1962年)は、「もはや戦後ではない」と言われ始めた1956年の空気を、まだ、ひきずっていた時代の映画だったのでしょう。
お上から「もはや戦後ではない」などと言われても、それは経済や復興の話であり、人々の心からは、まだ戦災の傷は癒えていなかったのです。戦災の記憶が「忘れたくても、忘れられない」、いや「忘れてはいけない」などと、葛藤しながら人々の心の中深く棲みついていた時代だったのです。東京オリンピックが1964年ですから、表向きは、未来に対して輝かしい希望を持っていた時代でしたが、けっしてノー天気に浮かれていただけの時代ではなかったのでしょう。
だから、そのモチーフを使ったエピソードの一片として、次郎の恋人である久子が記憶喪失になったときに、無意識に別の人に生まれ変わろうとした話が挿入されたのでしょう。久子には戦災のトラウマがありましたから
しかし、つらい戦災の記憶を忘れると、同時に恋人との甘い記憶も消えてしまうことになります。それに気がついた久子は、葛藤の末、元に戻ることを選択したのでしょう。愛する人がいれば、未来への希望があれば、つらい記憶も乗り越えていけると、そう判断した。それに、つらい記憶も含めてが久子のアイデンティティですからね。
広島に原爆ドームがあります。当時、どのような経緯で、あれが残されることになったのか、詳細は知りません。きっと「原爆のつらい記憶を思い出すから取り壊せ!」という声も少なからずあったはずです。しかし保存されました。現在は、もう保存に反対する人はほとんどいないのでしょう。当時の人にはつらい決断だったと察しますが、自分たちではなく、後世の、子々孫々のことを第一に考えると、本当に良い決断だったのです。
この作品を観て、妙なくらいリアルに胸にしみるものがありました。失恋、三角関係を扱っているからでもありましょうが、それは「忘れられない哀しみ」を、より増幅するように仕組まれた映画上のスパイスであるはずです。そのスパイスの刺激の向こうに、隠れた胸にしみた本当の理由が見えてきます。
それは東日本大震災の記憶でした。こちらは、まだ震災後にもなっていません。原発後にもなっていません。私が直接被災したわけではありませんが、あのとき日本中の人が「他人ごとだとは、とても思えない」ほどに、心に衝撃を受けたはずです。そろそろ、その苦しい記憶を忘れて生きたい、という気持ちが芽生えてきた人もいるかもしれませんが、可能なら、それは、けっして忘れてはいけない、油断してはいけない、後世に語り継がないといけない記憶だと、思うのです。
そんなわけで現在(2012年)の日本人の気持ち(時代の空気)は、この作品が作られた1962年に、ある意味似ているのではないでしょうか。だから妙なくらいリアルに胸にしみたのだと思いました。
東日本の壊滅的な被害をうけた所でも、後世まで被災を語り継ぐために、被災モニュメントを残すかどうかの議論がいろいろとあったと聞いていますが、そんな中で「奇跡の一本松」の保存が決定されたことは喜ばしいニュースでした。
余談ですが、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」(1958年)の世界が、CGではなく出てきます。「見事なCGだなぁ!」と第一印象で思ってしまい、ひとりで苦笑いしたくらいです。それに浸るだけでも一見の価値がありました。若き日の浅丘ルリ子さんもきれいです。
★★★★
追記 ( 久子の絵と宮本の秘密 )
2012/9/16 11:20 by さくらんぼ
次郎が大事にしていた久子の絵は「赤いトーンでまとめられた、驚いたような久子の顔のアップ」を描いたものでした。あれは「焼夷弾で燃える、家並みの炎に照らし出された、凍りつく久子の顔のイメージ」なのでしょう。つまり久子の心の奥底に棲みついていたトラウマの記号でありました。
だから額縁をつけて飾っておくことも出来ないし、簡単に手放すことも出来なかったのです。それを、久子と結婚するために売ろうとした。これは「もう苦しい過去を忘れて新生活を始めたい」ということですね。だから、それと呼応するように久子も交通事故を起こした後、別人に生まれ変わろうとしたのです。
この久子と同様な「忘れられない苦しい記憶」といえば、次郎の友人であるピアニストの宮本です。彼は、おそらく日本人母と進駐軍父とのハーフという設定なのでしょう。あの時代にハーフとして産まれた哀しみを象徴する記号として置かれた。宮本が売っていた偽ウイスキーは彼が自身を卑下する記号なのでしょう。
おそらく、父である米兵は母を捨て、もう米国へ帰っていった。そのトラウマで、宮本は「愛情の移ろいやすさに敏感」なのです。だから、次郎が久子に一途に愛情を注いでいるところを見て、安心し、次郎に尊敬の念さえ持っていた。それが次郎との友情を裏打ちしていたのでしょう。
でも、そんな一方、忘れられない苦しい記憶に苦しむ者、として、密かに久子に同士の愛情を感じていたのです。三角関係は女刑事だけではありませんでしたね。しかし、それを言ったら次郎との友情も壊れかねないし、自分が忌み嫌う、一途な愛情を壊す張本人になるのは絶対に出来ないと思っていたのでしょう。その宮本の葛藤する心が、彼の時々見せる不可解な行動の理由でした。久子の絵にこだわった理由もこれです。彼もまた悲しい存在だったのですね。
追記Ⅱ ( 「原発ゼロ」という新たな希望 )
2012/9/16 11:24 by さくらんぼ
映画の舞台となった、あの時代は、東京オリンピックや東海道新幹線などが人々の希望のシンボルでした。その希望にも後押しされて、高度経済成長の階段を駆け上がっていったのです。
ところが「もはや戦後ではない」と言ったお上の言葉の本意は、Wikipediaによれば「今までは戦後復興ということで、成長の伸び代が多大にあったが、戦前の生産水準にまで回帰してしまった以上、この先、この成長をどうやって続けたらよいものだろうか」という困惑の表現だったのだそうです。しかし、その心配はご承知のとおり杞憂に終わりました。人には想定外の力も潜んでいるのでしょう。
さて現在(2012年)の希望のシンボルはなんでしょう。「奇跡(希望)の一本松」や「なでしこジャパン」もありました。まだ実現するかどうかはわかりませんが、新たな東京オリンピック誘致話が始まっています。また、新たな新幹線であるリニアモーターカー建設もあります。
そして、何よりもこれがBIGなのだと思いますが、原発ゼロをめざして政府が方針転換したことです。完全にゼロになるのには年月もかかり、まだ紆余曲折があるでしょうが、原発ゼロの方向性はおそらく揺るがないでしょう。
単純に考えても、日本人は「桜吹雪」が好きで「往生際が悪いのは嫌い」です。それから言うと、ひとたび事故を起こして放射能が撒き散らされたら、それこ手に負えなくなる「往生際の悪い原発は大嫌い」のはず。今までは関係者から煙にまかれてきたのかもしれないけれど、今度のことで日本人は目覚めてしまったのです。きっと原発ゼロを成功させるでしょう。その日を「新たな希望の日」として進んでいくのだと思います。
追記Ⅲ 2023.11.2 ( 原発が復活した )
追記Ⅱで書いた「原発ゼロという新たな希望」は、今ふりかえれば、2012年という時代の空気だったように思います。10年経てばいろいろな事が変わってしまうのですね。
余談ですが、何事によらず、(何かの事情で)国が政策を決定してから何十年も実行しないと、その間に、住民も世代交代し、住民が世代交代すれば、世論も変化し、何十年も前の決定事項と、現在の世論との間に乖離が生まれ、ますます国も実行できなくなるのですね。
( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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