清水湯
何日か前からその予兆はあったとはいえ、その朝、外に出たら、急に気候が変わっていた。ちょっと涼しくなってきたとはいえ昼間はまだまだちょっと動いたら汗ばんでくる、というような気候から打って変わって、すっかり秋の匂いになっていた。家を出て、仕事場の倉庫に着くと、築五十年は経つだろうという倉庫の建物の中の匂いさえ、違っていた。木造の建築物なので、気温が高く、湿度が高いと、建物の中に入ると、むわっとした古い建物特有の匂いが漂っている。それがまったくなくなって、爽やかとさえ表せるような空気に変わっていた。外にいても、風が心地よい。夏の間は、暑すぎて、何をするのにも日陰ばかり探して過ごしていた。1日を長く使うことができるので、夏の間は日が暮れるのが遅いのはありがたかったのだが、日が暮れたって多少気温が下がる程度で、昼間と変わらずに暑いし、湿度もひどい日々だった。昔は、などというと年寄り臭いが、朝早くとか、夜遅くは、もっと快適に過ごすことができた時代があったことを思うと、今年の夏はほんとうに過ごしにくい夏だった。もっとも、もうすぐ夏が終わる、という実感はまだ全く無い。不意打ちのようにして、急に猛烈に暑くなって、それがそのままずっと続き、少しマシになったと見せかけて、また強烈な暑さが続き、まだまだ涼しくならないな、などと思っていたら、急に朝晩はむしろ肌寒い程という気候に変わった。帰宅してソファでゴロゴロしていたら、そのまま眠ってしまい、明け方に目が覚めた。鼻の奥に違和感があって、すこし喉が痛いような気がして、もうすぐ冬が来るということを急に実感として思い出した。酒を飲む気にもなれなくて、ちょうどさっき、ライフで買ってきた、PBのハーブティシリーズのレモングラスブレンドを淹れた。わたしはカフェインがだめな体質で、コーヒーや紅茶や日本茶をまともに飲むことができないので、ハーブティを好んでいるのだが、甘味料の味も苦手で、リコリスやステビアが入っているハーブティは全く飲むことができない。だから、ハーブティを買うときは必ず裏面の成分原材料の欄を確認するのだが、このライフのPBのシリーズはどれも、リコリスやステビアを使っていなくて、かなり好感のもている構成だったので、全シリーズを買ってきてしまった。夏は、どうせ家にいる間はエアコンをつけっぱなしにしていないとまともに過ごすことができないし、外が暑すぎて、エアコンをつけていても冷えすぎるというようなことはほとんどなかった。何年か前までは、夏の間は外を出歩く時に、さっと羽織れる長袖の服を必ず持ち歩いていたのだが、近年は、銀行とか図書館とかファミレスとかに入っても、冷えすぎているというようなことはほどんどなく、なんならエアコンの効きが足りなくて少し暑いくらい、というようなことが増えたので、冷え対策の服も、ほとんど持ち歩かなくなった。冬は、そういうようになにも考えないで過ごせる程甘くはない。深夜、風呂上がりに火照った体で薄着のまま、ちょっとパソコンの前に座っていたりしようものならば、気がつけばあっという間に体が冷えていて、肩のあたりがじんわりと痺れていたりする。夏は、冷えて肩が凝るようなこともない。寒い寒い冬が終わって、当たり前だがまだ1年も経っていないというのに、ああも日々が暑すぎると、冬のことなんて全く思い出せないのだが、気候の変化をきっかけに、否応なしに冬のことを思いだす。高速を運転しているときに、サービスエリアでエンジンを止めて仮眠したりしていると、寒さに震えて目が覚めたりする。夏と違って、たくさん着ればなんとかなったりもするとはいえ、それでも、顔とか手足とか、外気に触れているところの寒さは、どうにもすることができないから、そう考えると、夏のほうがまだ健康的なような気さえしてくる。そんなわけで、寒く厳しい冬をすこしだけ思い出しながら、あっという間に終わってしまう短い秋の訪れを感じているわけだが、とはいえ、暑すぎた夏から解放されようとしていることもあって、ひんやりとした懐かしい空気に、なんだか嬉しくなってしまう。代官山のツタヤが出来たのは、20代の初めのころのことだった。今でこそ、全国各地に蔦屋書店のおしゃれな店舗があって、特別な店舗ではなくなってしまったが、それでも、久々に来ると、やはりこの店が特別だということを感じる。地方都市にある似たような蔦屋書店だって、似たような作りの店構えで、似たような雰囲気を出そうとはしているのだが、どう頑張っても、代官山の蔦屋にはなれない。代官山、という場所が特別なのかもしれない。東京に住んでいる人のほとんどを、わたしは嫌いだ。高い部屋に住んで、高い車に乗って、高い服を着て、高い食事をして、ほとんどのみんなが、ちょっと背伸びをして、身の丈よりも少しだけいい暮らしをしようとしたりしている。そのおかげもあってか、代官山の蔦屋には、ほかの地方都市の蔦屋にはない、洗練と、上品な混沌とがある。クラシックカーが展示してあったり、海外のアバンドギャルドな写真雑誌が置いてあったりして、通いなれた店なのに、いつ行っても飽きることがない。二十代の頃、いつかここに歩いて来れるところに住みたい、と思っていたこともあった。当時は、車で二十分くらいのところにある実家に住んでいたので、十分に近いといえば近かったのだが、それでは足りないような気がしていて、もっと近いところになんとか住めないかと思って不動産サイトを眺めて、家賃の高さに絶句したりしていた。あの頃と違うのは、平然と、スタバで飲み物を買えるようになったことだろうか。当時の自分にとっては、1杯5、600円もするドリンクは、食事1回分にほど近い金額で、とてもではないが、おいそれと気楽に頼むことは出来なかった。蔦屋書店に置いてある本を読むのにはドリンクを頼むことが必須というわけでも別にないので、ほとんどスタバで何かを買ったことがなかった。少し肌寒いくらいだったので、暖かいものが飲みたくて、ココアを注文した。ホイップ抜き、フォーム増し、ココアパウダー多め、というカスタムでいつもココアを注文するのだが、暖かいドリンクを注文するのが久しぶりすぎて、どんなカスタムでいつもオーダーしていたのかを思い出すのに時間がかかった。ライトシロップにしていたのかどうかを最後まで思い出せなくて、そのままで注文したのだが、飲んでみたらやはり少し甘すぎるような気がしたから、たぶん、ライトシロップで注文していたのだろう、と思った。次回はライトシロップで頼んでみることを覚えていよう、と思った。犬を連れた人も、異様なくらいの頻度で敷地の中を通りすぎていく。わざわざ犬を連れて遠くから来ている人だって、いないことはないのだろうが、基本的には近所に住んでいる人たちだ。容姿も国籍もバラバラで、いろいろな人が通り過ぎていくが、みすぼらしい恰好をしているような人は、ほとんどいない。店内の雑誌コーナーで、村上龍のエッセーが載っている雑誌を立ち読みした。おそらく編集部にテーマを与えられて書いた回なのだろう、という内容だったが、挨拶についての話だった。相変わらず、〇〇について、わたしはわからない、見ないから知らないし、わからない、というようなことを書いていて良かった。メールについての話になって、昔の同級生からメールが来たりすることがあって、仲がよかった同級生もいたりするが、たいてい返事は書かない、というようなことも書いてあって、龍さんらしいな、と思った。それから文芸誌の記事をいくつか読んだ。上田岳弘という人の小説が良かった。綿谷りさが宇野千代ゆかりの地に足を運んで、宇野千代のコスプレを楽しんだという、文芸誌以外ではおよそ掲載できないであろうオタク感が良かった。ネットフリックスで話題になって、わたしも二回通して観た「地面師たち」の原作も少しだけ読んだ。原作者の小説は読んだことがなかったのだが、内容もされとて、文体もなかなか引き込まれるタイプの文体で、ぐいぐいと没入するように読んでしまった。ドラマの印象が強いので、どうしてもピエール瀧や綾野剛や豊悦を思い浮かべてしまうのだが、やや容姿や風貌に関する描写が違うといえ、ドラマもけっこう原作に忠実に作られていたようで、聞き覚えのあるセリフが出てきたりして、親近感もあった。ドラマではどうしても描写しきれなかったような細かいことが小説にはいろいろと詳細に描写されていたので、そういう意味でも、小説もぜひ読みたいと思った。この蔦屋は昔は深夜の2時まで営業していたし、ファミマはもちろん当時も24時間だったので、ダラダラと外の席で友人と話して、蔦屋が閉まったあとも、ファミマで買った飲み物を飲みながら、外でそのまま話したりしていた。当時も今も、基本的には19時を過ぎれば駐禁もないので、駐車料金もかからないし、お金を持っていなくても、楽しく文化的に過ごすことができた。今住んでいるところは代官山からだと、少なくとも1時間はかかるので、日々の暮らしの中で代官山蔦屋に寄ることもほとんどなくなった。ふと、銭湯に寄ろうかな、と思った。車で来ていたので、車を止めることができる銭湯、となると、そう選択肢は多く無い。東京に住んでいた頃は、バイクで移動することも多かったので、駐車場がないところでもなんとかなったが、車で東京に出てきている身では、気軽に寄れる銭湯はそう多くはない。なんでもない平日だったので、空いていたらいいな、と思いながら、ほとんど無意識のうちに、武蔵小山に向かっていて、気がついたら清水湯の前に着いていた。武蔵小山に住んでいたのは2年半くらいの間だったと思うが、その前からもたまに来ていた銭湯だった。いつからか、サウナブームの台頭もあってか、異様に混雑するようになって、それに東京都外に引っ越してしまったこともあってか、いつからか、足が遠のいていた。それでも、この懐かしい秋の空気を堪能するにはここしかないだろう、とほとんど無意識のうちに考えてここに来たのだが、ラッキーなことに、思っていたよりも随分と空いていた。かつて来ていた頃は、混みすぎてほとんど芋洗いのようになっていたりもしたので、ゆとりをもって湯船に浸かることができて、とてもよかった。久しぶりに入ったが、お湯は文句のつけようがない素晴らしさだった。黒湯の方は掛け流しではなく、循環加温消毒がしてあるのだが、昔はもっと塩素の匂いが強かったような気がした。ほとんど塩素の匂いがしなくて、肌にぴりぴり来る感じも全然なかった。帰り際に番台でそのことを聞いてみたが、消毒の方法や量を特に変えたりはしていないから、昨日が祝日で人がたくさん来て、出入りが多かったから塩素も薄まってしまったのかもしれない、と説明された。入るときから出るときまで、ああ東京の銭湯だなぁ、としんみりと感じてしまった。銭湯のまわりの喧騒や人通りの多さ、限りある狭い土地でけっしてゆとりのある広さではないが、それでも多くの人が訪れる、雰囲気、匂い、空間、大人になって初めて自分の意思で銭湯に通うようになったころのことを、少し思い出した。随分とこういう街の銭湯には来ていなかったが、塀の向こうには女湯がある、というのもすごいよなぁ、とふと思った。特に覗いてみたいわけではないし、実際に覗きたいというわけでもないが、隠されると気になってしまうのか、女湯はどんな構造になっていて、どういうふうに人々が入浴しているのか、先人たちの時代から、男にとって、女湯というのは気になる場所であり続けてきた。時折、覗いたり、盗撮したり、あるいは実際に入り込んだりした男が、逮捕されたりしている。女湯をモチーフにしたアダルトビデオもあったりするが、個人的にはそういうのが観たいわけではない。時間が止まってしまった女湯に入り込んでどうたら、とかそんなようなAVを目にしたこともあるが、そういうのが観たいわけではない。別にエロいことは全くせずに、女湯の中がどうなっているのかをドキュメンタリーとしてただただ紹介するようなエロビデオがあったら面白いかもしれない、とふと思った。需要があるのかどうかはわからないが、普段隠されていて見ることができない世界を見てみたい、ということなのだろうと思う。女の下着とかだってたぶんそうだ。下着そのものはただの布だし、もしもそれが隠された存在でなく、日頃からその辺でいつでも誰ても見ることができるようなものだったのならば、ブラやショーツについているひらひらとしたレースにも、男は欲情したりしなかったかもしれない。スカートの中を盗撮する人の心理がどういうものなのかはわからないが、隠されているものを暴きたい、という気持ちも少しくらいはあるのではないだろうか。温泉から出て、少し近所を歩いてもみたが、ここは恵比寿ではなくて武蔵小山なので、めぼしい店のほとんどは閉まっているし、スーパーくらいしか寄るところがなかったので、ライフに寄った。明け方に、家族が寝静まったリビングでこれをいま、書いている。ライフで買ったレモングラスブレンドには、消炎作用があるカモミールも入っていたからだろうか、喉と鼻の違和感が少しマシになった。あと数日で自民党の総裁選の開票がある。誰もが知っている通り、事実上、次の総理大臣が決まる選挙なわけだが、確実にこの人だな、という候補がいるわけでもない状態となっている。小池都知事が当選し続けているのも意味がわからないし、誰が総理になったって、日本がすごく良くなるとも思えない。何かに、未来に、あまり期待することも、年齢のせいもあってか、随分と減った。未来は見えないが、それでも、日々は過ぎていくし、年は重ね続けていく。いま一緒に暮らしている犬は、もうすぐ1歳半になる。何歳まで生きてくれるかはわからないが、15歳まで生きたとしたら、その頃にはわたしも50歳になっている。自分が50歳になる姿が到底まだ想像できないが、20代の前半だった頃から、もうすでに15年が経過した。それをもう一度繰り返すと50歳で、さらにもう一度繰り返すと、もうすぐ70歳、ということになる。先のことを憂いていても仕方がないし、目の前の日々を生きるしかないのはわかっているのだが、それこそ、砂を掴むようなもので、目の前の日々でさえ、さらさらと手の中からこぼれ落ちていってしまう。過ぎていった日々の確かさに、不安にさえなってしまう。カーテンを開けると、青白い朝の光と一緒に、ガラス窓越しに冷気が漂う。鍵を外して窓を開けると、肌寒かった。なんどか瞬きをしたら、次に目を開けたときには、きっともう冬になっている。
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