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夏、ゴーヤ、ビール

 へえー、ゴーヤの中ってそんななってんだ。ゴーヤのワタをスプーンで取っていたら、通り過ぎざまにシンクの上のわたしの手元を覗き込んだマサルがおどろいたような声を上げた。俺さ、ゴーヤってさ、考えてみると、料理の途中の姿見るの、初めてかも、スーパーに並んでるのと、料理になったのしか見たことなかった気がするわ。そう言ってマサルはわたしの肩に一度自分の顎を乗せてから、さりげなくわたしの髪に顔を埋め、わざとらしくわたしの匂いを嗅いで、わたしの後ろのキッチンの狭い隙間を通り過ぎた。ねぇなんで匂い嗅ぐのよ。マサルは何も答えずに冷蔵庫を開けて、また閉めた。嗅ぎたいからだよ。ダイニングテーブルの席についたマサルがそう答えるのとほとんど同時に、缶のプルタブが引かれる音がした。昨日の夜、近くのスーパーでマサルが買ってきたビールだ。うだるような暑さの真夏の土曜日の午後、確かに、自然とビールを開けたくなるシチュエーションだ。ヘラでこするようにしてわたしがスプーンでくりぬいたゴーヤのワタがシンクに落ちる。何度も見たことがある人間からすればそう斬新なものではないが、ふわふわのスポンジのようなワタのなかに、うっすらとやや赤味がかった黄色っぽいタネが埋まっているのは、確かに、初めて見たら驚くかもしれない。ゴーヤのワタを初めて見た時のことを思い出そうとしたが、全く思い出せなかった。子供の頃から料理はよくしていたが、小学生の頃にゴーヤを使った料理を作った記憶はあまりない。自分で料理にゴーヤを使うようになったのは、いつの頃からだっただろうか。飲むよね? 背中越しにマサルの声がした。うん。わたしがそう返事すると、マサルが食器棚からグラスをふたつ取り出すのが音と気配でわかった。最近のマサルは、泡を立てないでビールをそそぐのにハマっていて、きょうも丁寧にふたつのグラスにビールを注ぎ分けた。泡が無い方が苦味が少なくなりビール本来の味わいを楽しめるのだという記事をネットで読んだことがきっかけらしい。わたしもマサルが注いだ泡のないビールを何度か飲んでいるが、たしかに、苦味が減ってビールの甘みを感じやすくなるような気はした。ほいよ。きっちり半分ずつに注ぎ分けられたビールの片方をマサルが差し出してきて、ワタを取り終わったゴーヤをまな板の上に並べたところでわたしは手を止めて、それを受け取った。乾杯する理由は特にはなかったが、軽くグラス同士を触れ合わせてから、ほとんど同時にふたりともビールを飲んだ。黄金色の液体が、滑らかに喉の奥に流れ込み、そして、通り過ぎ様に炭酸の泡が弾ける。ちょっと動いたらすぐに汗ばみそうな気候の日には本当に最適な飲み物だと思った。いつも会う時はマサルのマンションに行くことが多いが、きょうは、珍しくわたしの実家だった。両親が昨日から共に外出していて、誰もいなかったので、たまにはうちに来たら、とわたしが誘った。わたしには兄と姉がいるが、二人とも、もう実家を出ていて、めったに帰って来ない。マサルがわたしの実家に来るのは初めてのことではなかったが、マサルがうちにいるのがいつもとはちょっと違う感じがして、なんだか新鮮だった。ビールのグラスを調理台の上に置いて、わたしはゴーヤを切る作業に戻った。ワタを抜いて五ミリ幅に切る、大昔にネットで読んだレシピにはそう書いてあった。半分に割ってかまぼこのような形になったゴーヤを、丁寧に薄切りにしていく。何回か切ると、まな板の上に溜まった薄切りのゴーヤたちが続きを切る邪魔になるので、包丁の腹に乗せて、ボウルに移す。厚すぎると苦味が抜けないし、薄すぎるとへなへなになってしまう。確かに、五ミリくらいがちょうどいいのかもしれないと、経験則的にも思う。きのうの夜は、マサルと二人で並んで、わたしの部屋のシングルベッドで寝た。一戸建てだし、他にも部屋はあるが、いくら誰も帰ってこない予定とはいえ、なんだか落ちつかなそうで、結局わたしの部屋で寝た。金曜日だったきのうの夜はマサルもわたしもなんだか疲れていて、ベッドに入るとそのまますぐに眠ってしまった。朝、目が覚めて、互いの体にふれあっているうちになんとなくエッチな雰囲気になったが、わたしが生理だったのでセックスはしなかった。服の上から触れると、マサルのそれははっきりと硬くなっていた。セックスに応じられない申し訳なさみたいなものもあったが、なんとなくそうしたいような気がして、マサルの服を降ろして、わたしはそれを口に含んだ。マサルはまだぼんやりと眠そうな顔をしていたが、しばらく続けていると、マサルの息が荒くなって、それの硬さがなお増したような気がした。わたしもだんだんと興奮してきて、明らかに血液とは違う液体が下着の中のナプキンを濡らしているのを感じた。マサルが射精して、わたしは口でそれを受け止めた。青臭い独特の匂いがして、ほろ苦い味がした。ティッシュに吐き出しながら、ベッドに横たわったままのマサルのそれがどんどん形を失ってしぼんでいくのをわたしは眺めていた。気がつけば八月になっていた。わたしもマサルもあまりテレビは見ないのだが、きょうがちょうど立秋で、暦の上ではもう秋になるのだとネットのニュースの記事に書いてあったのをさっき読んだ。まだまだ信じられないくらいに日中は暑いが、そういわれてみると、先週くらいから、心なしか、朝晩の暑さが和らいできたような気がしていた。と、思ったが、昨日の夜は、窓を開けるとどんよりと暑く、エアコンなしでは絶対に眠れないような暑さだったので、立秋とそれとはあまり関係がないのかもしれない、とも思った。夏、というものの実態が、いまだによくわからないような気がする時がある。気がつけば猛烈に暑い日々が始まっていて、暑さに耐えられなくなってあわてて夏の服を出してきたりする。ちょっと外を出歩くだけで汗が吹き出し、何をしていても暑くて、エアコンが存在しなかったら生存すら難しいような暮らしにいつの間にか突入していたりする。子供の頃のように、たとえばプールの授業が始まるとか、たとえば学校が休みになるとか、そういうわかりやすい目安があると、もうすこし夏の始まりというものを実感しやすいのかもしれないが、連綿と続く大人の暮らしには、はっきりとわかるような夏の始まりの合図というものはあんまりなかったりする。雨ばかり降る日々が続き、気がつけば暑さが増してきて、そういえば七月になったな、などと思っているうちに耐えられないような暑さに毎日が包まれていたりする。そして、八月だ。もう八月も一週間が過ぎてしまったが、八月になった実感もあまりないまま、ただただ暑い日々が過ぎて、その上、暦の上ではもう秋です、などと言われるともうほんとうに訳がわからなくなる。もちろん、はっきりとした区切りがあるわけではないのだろうが、いつ夏が始まって、いつ夏が終わるのか、いつまでたってもよくわからないまま、毎年、季節は過ぎていく。でも、この緑色は、間違いなく夏だ。無心にゴーヤを切りながら、ゴーヤのその緑色を見て、わたしはそんなことを考えた。ゴーヤで何を作るかは、実はまだ考えていない。冷凍庫に豚肉があったし、野菜室には確かナスもあったはずだ。だらだらと起きたので、ふたりとも朝ごはんは食べていない。先週から始まった緊急事態宣言のこともあって、どこにも行く予定がないのをいいことに、朝からわたしたちはビールを飲んでいる。そうめんを茹でるのもいいかもしれない。母が手延べそうめんへのこだわりが強い人で、我が家にはいつも、ちょっと良い手延べそうめんが買い置きされている。母いわく、手延べとそれ以外では、グルテンが形成される構造が違うため、はごたえや喉越しが全くの別物になるらしい。大学生の頃に一人暮らしをしていたことがあって、そういえばその頃に百均の食品売り場とかで売っているような安いそうめんを買ったことがあったが、確かに、実家でいつも食べていたそうめんとはまるで別物だったような気がしたのを覚えている。昨日の小田急のやつさ、万引きして捕まったから、店の人を殺そうと思って出かけて、店が閉まってたから代わりに通り魔したらしい、っていまニュースに書いてあったんだけどさ、ほんと酷すぎるなこれ。ビールがほとんど空になったグラスを片手にしながら、反対の手に持ったスマートフォンの画面を見て、マサルが呟くように言った。捕まったから店の人殺すってのも十分意味わかんないけどさ、じゃあ、ってそこから通り魔になるの、怖すぎるでしょ、電車乗れないよね…。ゴーヤを切る手を止めてわたしは答えた。犯人が使った刃物は、牛刀だったらしい。わたしがさっき起き抜けにスマホを眺めていて読んだ記事にはそう書いてあったが、料理のことをあまり知らない人は牛刀が包丁の一種であることを知らないのではないか、と記事を読みながらふと思った。牛刀、という漢字を見たのはわたしも久しぶりで、山賊みたいな人たちが持っていそうな大型のナイフを連想しそうになった。大きさや長さは犯人のそれとは違うかもしれないが、わたしがいま握っているのも、牛刀と呼ばれる形の包丁だった。わたしにとっては、料理に使う道具であって、凶器だとは思えないので、これを振り回して誰かを殺傷することが想像さえもできなかったが、犯人にとっては、手近にあるちょうどいい凶器だったのかもしれない。椅子がズレる音がして、マサルが席を立ち、それから冷蔵庫が開いて閉まった音が聞こえた。立ったままマサルは二本目のビールを開けて、ゴーヤを薄切りにするわたしの手元を眺めていた。なによ? マサルがあんまりまじまじと見ているので、少し笑いながらわたしはそう訊いた。いやぁ、綺麗に切ってんなーって思って。そう言ってマサルはボウルの中のゴーヤをつまみ食いしようとした。それ、まだ塩もみしてないから苦いと思うよ。わたしがそう言う頃にはもうゴーヤはマサルの口の中に入っていた。えっ、うわ、ほんとだ、苦い。そう言いながらも、マサルはゴーヤを噛んでからごくんと飲み込んだ。ゴーヤって、そのままだと苦すぎるから、塩で揉んで、塩を洗い流してから、料理に使うんだよ。わたしはまな板の上のゴーヤを全て切り終えて、包丁を洗いながらそう教えてあげた。ふと、塩もみする前のゴーヤを食べたことがないな、と思って、わたしも一切れ、生のままのゴーヤを口に含んでみた。小さめの一切れを取ったのだが、はっきりと苦くて、独特の青苦い風味が口の中に広がった。これだけでこのまま食べても全く美味しくない気がした。だが、他の素材と合わさり、調味されることで、その苦さや香りが、美味しさに変わるのだと思うと、不思議な感じがした。香りは全然違うのだが、その苦さで、わたしはさっき口に受け止めた、マサルの精液の味を思い出してしまった。グラスに残っていたビールを飲み干すと、マサルが新しく開けたビールを注いでくれた。ゴーヤの苦味と、マサルの泡の無い注ぎ方で、ビールは全然苦く感じなかった。電車に乗っていて、突然、包丁を持った見知らぬ人に襲われたら、果たしてわたしは逃げられるのだろうか、生き延びられるのだろうか。一番被害が大きかったとされている二十代の女子学生の被害者は、重症ではあるが死なずには済んだようだった。それは本当に良かったと思うし、後遺症などなく回復してくれることを祈るばかりなのだが、たとえば、わたしがたまたま同じ時、同じ場所にいたら、同じ目に合っていた可能性だって十分にある。祖師ヶ谷大蔵のほうにはあまり行かないが、たまたま犯人の行動エリアがその方面だった、というだけで、わたしの生活圏で同じような事件が起こったとしても、全く不思議ではない。突然、窓の外で轟音が鳴り響いて、猛烈な雨がふり始めた。轟音は、滝のような雨が地面を叩く音だった。出かける予定もなかったし、全く天気予報を気にしていなかったので、少しだけびっくりしたが、かなり強い雨だった。こりゃますますどこも行けねえな。ビールを飲みながらマサルがそうつぶやいた。その言い方がなんだかそのへんにいるおっさんのような言い方に聞こえて、面白い気がしてわたしは思わず小さく笑ってしまった。なに笑ってんさ。訝しげにマサルがこちらを見る。ううん、なんでもない。そう言ってから、グラスに残っていたビールを、わたしは一息に飲み干した。

(2021/08/08/03:11)

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