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杏のジャム

 子供の頃、家の裏に杏の木があった。本当に文字通り、建物の真裏に生えていて、いま建っている建物になる前の家の頃からその木はそこにあった。その頃の古い家のことを思い出す。二階建ての木造住宅で、地下室があった。もともとは一世帯用の家だったが、両親の結婚を機に、二世帯にリフォームした。そのリフォームは内藤さんという名の昔から我が家に来ていた大工の手によって行われたもので、建物の外に鉄の階段をかけてあたらしく玄関を作るという、なかなか大胆なリフォームだった。その家は、もう二十年以上も前に建て直しのために取り壊された家だが、俺が生まれ育った家だった。俺の家族は二階に住んで、一階と地下は祖父母が使っていた。一世帯で使っていたころに家の中にもともとあった階段は、二階の床に蓋をして、床下収納として再利用されて、普段は塞がれており、一階の側の階段の出口には戸がつけられ一階からもアクセスできる物置として使われていた。階段の上に荷物を並べる形の収納なので、階段下収納ならぬ、階段上収納であった。物置なので、もちろん普段は荷物でぱんぱんになっていたから、大人が行き来することは難しかったが、十歳にもなっていなかった頃の俺は、荷物の間をすり抜けて下に降りたりして遊んでいたような気がする。祖父母が海外赴任で住んでいなかった時代も長く、物心ついた頃の一階と地下室はだれも住んでいない不気味な空間だった。比較的躾に厳しい母親だったので、なにかで叱られた折には、地下室に降りる階段に閉じ込められたこともあった。いまにして思うと、せわしなく動き回りいたずらばかりをする問題児を、たとえほんの小一時間の間でもいいからどこかに留まらせて置きたい、という親の気持ちもよく分かるような気はする。留まらせて置く、と書いて留置になるわけだが、まさに留置のようなお仕置きだった。地下へ降りる半螺旋の階段はとにかく不気味で、ブレーカーが落としてあったのか、電気は付かなかった。明り取りの窓も地下室の中にはあったのだが、昼間でもほとんど光が入らないので、地下室全体が不気味以外の何物でもなく、とても怖かった。許してほしいと泣きわめきながら、内側からは開かないドアの中に閉じ込められる。いまそんなことをしたら虐待だと言われるかもしれないが、時代も違うし、別に当時としては普通のことだったようには思うが、とはいえ母親がやや標準よりもヒステリックなところもあったこともあってか、しょっちゅうそんなふうにして叱られていた。転覆した船の中に閉じ込められてしまったときと似ていたかもしれない。船から出るためには一度息を止めて水の中に潜らないと、外に出ることができないわけだが、息を止めていられる時間は限られているし、もしかするとその息を止めていられる間に空気のあるところにたどり着けないかもしれない。階段を下りて、地下室の中に一度入れば、外の光が差し込む窓の前にたどり着くことができるはずだということは子供の俺にだってわかっていたはずだが、なにがあるかもなにがいるかもわからない地下室の中に降りていくことは恐怖だった。それならば、時が来て外から鍵を開けてもらえるまで、ただただじっとドアに体を寄せて待つほうが、まだマシだったのだろう。階段の下は真っ暗で、カビとホコリの匂いがしていて、なにがあるのかわらならいことが怖さを増して感じさせた。明るいところで見ればなんということのないものだったのだろうと思うが、暗闇に目が慣れてきてうっすらと見えてくると、浮かび上がる壁の模様さえもが怖かった。その頃の家のことを思い出す記憶の中に、杏の木のことは殆ど出てこない。家を建て直す前からそこにあったのはおそらく確かなのだが、たぶん、つい最近まで変わらずそこにあったから、過去のものという認識がないというか、古い記憶、には登場しないのかもしれない。二十年前に最後に会った人のことを思い出すときに、それは当然二十年前の記憶に頼ることになるわけだが、半年前までよく会っていた人のことを思い出すときに、真っ先に二十年前のことが記憶から出てくるのは珍しいのと同じことなのだろう。杏の木は、たしか去年は実をつけていたと思うが、害虫がひどいことを理由にその後、いつのまにか切られてしまっていて、いまはもう無い。しばらく実家に帰らないうちに無くなっていたのだが、実をつける季節ではなかったことと、わざわざ家の裏に見に行ったりもしないこともあって、しばらく気が付かなかった。杏の品種はわからないが、毎年梅雨の終わり頃に実をつけ始めて、熟れたところで俺はいつも木に登って収穫していた。ろくに手入れもしていない木だったので、虫がつきやすく、また熟れたことに気付かずにいるうちに、熟れすぎた実が地面に落ちて潰れたりしていた。その木になる杏の果実は甘さが殆どなくて、かなり酸っぱいものだった。収穫量も十個かそこらが普通で、多くても二十個にはならない、という様な感じだったが、家族のなかで俺の他には杏に興味がある人が誰もいなくて、俺が収穫しないと杏の実は腐り落ちるだけだった。毎年、というわけではなかったが、タイミングが合った年には杏を収穫して煮た。ジャムと呼べるほどの砂糖は入れずに、コンポートくらいの感じの煮込み加減で仕上げると、甘酸っぱくてヨーグルトに良く合った。何日か前に、余り物のヨーグルトが家にあって、食べようと思ったがはちみつもジャムもなくて、近所のスーパーに行った。やや遅い午前中のことで、その日初めて外に出てみると、すっかり春めいた気候で、寒かった冬がもう終わってしまったような気がして、なんだか少し軽やかな気分だった。仕事が休みの遅い午前に、ヨーグルトを食べるためだけにジャムを買いに歩いて出かけることができる、ということが、ささやかではあるがとても幸せなことのように思えた。売り場でジャムを眺めていて、ベリー系のもの、それも砂糖無添加のものを買おうと思ったのだが、ふと、棚の隅に杏のジャムを見つけて、しばらく迷ってからそれを買った。帰り道は少しだけ遠回りして、用水沿いに咲く桜を眺めながら家に帰った。去年の春のことをぼんやりと思い出しながら、まだ散りそうにはない桜の下を歩いて家路をたどるうちに、ふと、昔家にあったその杏の木と、その木が生えていた昔の家のことを思い出した。二世帯に改築してから住んだのは十年にも満たない。人生の大半は、その後に建った家を実家として暮らしてきたことになる。それでも、窓の外に揺れる木の葉の隙間から差し込んでいた光とか、狭い風呂場とか、階段につながる床下収納とかを、いまでも鮮明に思い出せるような気がする。もしあの建物がいまもあって、大人になった目で、体で、その家を見ると、たぶん記憶とは随分違っているのかもしれないが、もうあの家はないので、実際にそうなのかどうかは、わからない。


(2020/04/03 18:43)

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