「ただ、そこに在ること」と抵抗をかけつなぐために∶あるいは「支援する会」を通じて考えたこと|運営メンバー
「青山さんを支援する会」では、現在クラウドファンディングを実施しています。拡散・ご支援のほど、よろしくお願いいたします。
○クラウドファンディングサイト
今回は、「青山さんを支援する会」の設立から関わった、ある運営メンバーによるエッセイです。なぜこのプロジェクトに関わっているのか。昨今の差別的・暴力的な状況に対してどのようなことを考えているのか、などをお話します。
※このエッセイでは、一部に私たちや青山さんに向けられた攻撃的な内容を含みます。なるべく抽象化して暴力性を薄めるように努めていますが、お気をつけください。
「あやしさ、気持ち悪さ、自己責任」──それでも応援してくださるみなさんへ
こんにちは、こんばんは、そしておはようございます。「青山さんを支援する会」(以下「支援する会」)運営メンバーのたなひです。まずは、これまで様々な形で私たちの活動へご支援をくださりましたみなさまへ、心から感謝を申し上げます。みなさんのメッセージやお力添えに、私たちは日々励まされています。それは、私の大切な友人であり、当事者の青山さんもおっしゃっています。本当にありがとうございます。
しかし、私たちはこれらの応援へ心からの感謝をお伝えさせていただくのと同時に、私たちや青山さんへ同時に日々浴びせられる数々の誹謗中傷や差別的言説に対しても、また向き合わなければなりません。それは、私たちの活動に関する様々な疑念へ、私たちができうる限りの誠実な応答でもあるがためです。
一連の問題は、極めて複雑に絡み合っています。例えば、青山さんの匿名性が担保されることは自明としても、なぜ運営メンバーがこれまで自己紹介や個人的な意見表明を避けてきたのか、といったような状況から生まれる疑念について。私たち「支援する会」の運営メンバーは、それぞれのバックグラウンドから、昨今のトランスジェンダーへの差別、いわゆるトランス排除言説をはじめとした、広くシスジェンダー規範や性別二元論に基づく攻撃に対して一定程度の知識と経験を持っています。そして、私たちは、「支援する会」のような活動自体が、トランス排除言説だけに留まらず、既に常に攻撃のリスクに晒されることを了承して活動してきました。そして、現に青山さんへ侮蔑的に向けられた「気持ち悪い」といった発言、あるいは、「自己責任なんだから手術費くらい自分で何とかしろよ」といった声があることを、私たちは把握しています。
一連の私たちに向けられる攻撃は、単に私たちへの攻撃に留まらず、同時に社会的な意味を持ちうるものであるとも理解しています。すなわち、それを読んだ青山さんをはじめとした当事者や広義の支援者をはじめ、多くの方への二次被害を発生させてしまいかねないのです。以上の理由から、「支援する会」のメンバーとしてのメンバー紹介や個人による記事作成など、具体的なアプローチを避けてきたという事情があります。他方、こういった私たちの目論見は、同時に私たちの活動の「あやしさ」(「胡散臭さ」と言い換えることもできるかもしれません)につながっていたということも理解しています。
今回は、諸々の事情を勘案し、運営メンバーのなかでも特に設立からコミットしてした私たなひが、少しお話をすることで、これらの言説へ向き合ってみようと試みるものです。
性別違和は「自己責任」なのか
私が青山さんから相談を持ちかけられたのは、今年の春でした。青山さんから寄せられた相談の詳細については、以下の記事をご覧いただければと思います。
……これらの話を伺いながら、私はふつふつと社会に対して怒りが沸き、自身を恥ずかしく思い、また疑問も感じました。怒りとは、意図的だとも十分に解釈しうる保険医療制度の欠陥に基づく医療行為の享受に関する不均衡という、社会的な問題に対する怒りでした。同時に、私自身はこうした事情を何となくは知っていたものの、十分な知識として持ち合わせておらず、それを恥ずかしく思いました。疑問とは、果たしてこのような制度設計のもとでの当事者の苦しみは、「自己責任」と安易に片づけられて良いものなのか。あるいは、私たちは、無意識にこれらの問題を当事者の問題として還元することによって、みてみぬふりをしてきたのではないか、というものでした。
これらの怒りや恥、疑問を重ね合わせつつ、私は自身のことを思い起こしもしました。私自身、時に偏見や蔑視、間違った理解をされやすい障害や疾患を治療するため、少なくない金額を支払いながら医療を頼っている人間です。もし、自分が医療行為による治療を望んでいて、ガイドラインに沿った治療を進めた結果として保険適用外となり、重大な治療へ高額な医療費がかかり、断念せざるをえなかったら……深い絶望と共に怒りが沸くでしょう。トランスジェンダー当事者にとっての性別適合手術の困難さはそのままのものとして捉えられ、解消に向かうべきですが、同時にその困難さへ少しでも想像を働かせようとするとき、私は同じく受けている自身の保険適用の治療を思い起こしました。みなさんも、これはおかしいと思いませんか?
もちろん、「性別違和」という困難を病理化することでしか解消することができない現状に対してもまた問題は提起されるべきです。そして、「性別違和」をはじめ多様な性/生のあり方が、より承認されにくいものもあることを忘れてはなりません(たとえば、広義のトランスジェンダーとして捉えられるノンバイナリーやXジェンダーといった人々*1の「男でも女でもない」という語りを、私たちはどれだけ誠実に受け止めることができているでしょうか?)。私たちは、青山さんの困難を解消しようとする実践を通じて、医療保険制度の矛盾を指摘しつつ、同時にこうした様々な事象に対しても問題を投げかけ、連帯していきたいのです。
「ただ、そこに在ること」という希求と問題解決という抵抗をかけつなぐために
制度の欠陥という問題ならば、制度を変えるよう働きかけるべきではないか、と思う方もいるかもしれません。問題解決に、まず注力すべきではないか。その方が、より多くの人々にも恩恵があるのではないか、……。
しかし、それを待てない当事者も多くいます。今回の青山さんのように。日々刻々と積み重なる性別違和の苦しみによって、かれらが切実に望んている「ただ、そこに在ること」それすら脅かされる人もいるのです。問題を解消するための抵抗と「ただ、そこに在ること」という実存への希求は、本来矛盾するものではありません。しかし、時を待てない当事者へ「個人的な問題は社会的な問題を解消してから解決しろ、そのために今は闘え」と言ってしまうとするならば、それは抑圧です。すなわち、実存と抵抗は両立しえるが、同時に、両立を強いることの抑圧についても考えなければならないのです。「個人的はことは政治的なこと」なのだから。
さらに付言するならば、クラウドファンディングといった草の根の運動は、もしかしたら社会制度の再検討につながるかもしれません。一人ひとりの実存を守るためのアクティビズムが、一つひとつの草の根の抵抗となり、社会を変えてきたことは、歴史を振り返っても例を挙げれば枚挙にいとまがありません*2。そういったことを考えながら、私は青山さんへの支援プロジェクトを始め、仲間を募りました。
私たちの活動(そして、この活動に関わるメンバーの生活)は、つねに恐怖と傷と隣り合わせです。けれども、私は、「あらゆる差別に反対する」というポリシーに基づき、青山さんの苦しみを解消するための支援に携わりながら、同時に、社会へ問いかけたいと考えています。「ただ、そこに在ること」と抵抗をかけつなぐために。私たちは、大切な友人の支援と、この社会に対する痛烈な異議申し立てとの両面において、抗い、たたかっているのです。
注
*1 詳しくは下記のリンク先『LGBTQ+ WIKI』内の記事「ノンバイナリー」ほか関連項目を参照のこと(リンクの取得は2023年6月3日)。
https://lgbtq.fandom.com/ja/wiki/%E3%83%8E%E3%83%B3%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%83%BC
*2 例えば、小熊英二(2017)『首相官邸の前で』(集英社インターナショナル)は、東日本大震災の原発事故発生以降、草の根の運動として首相官邸前で毎週開かれていた脱原発運動が、いかにして20万人もの参加者を動員したデモにまで発展したのかを、書籍と映像作品で克明に記録するものである。また、書籍版に収められめている小熊英二「波が寄せれば岩は沈む──福島原発事故後における社会運動の社会学的分析」(『首相官邸の前で』pp.137-196)は、一連のムーヴメントの詳細と成果および課題を社会学的分析によって明らかにしている。小熊によると、脱原発運動は、大手マスメディアに黙殺されながらも、SNSでの情報拡散と直接関係が複合的に作用することを通じて広まっていったという。そして、一連の運動は、その後の選挙結果に反映されはしなかったものの、脱原発に関する世論形成と政治的動向に対しては影響を与えるに至ったと指摘している。