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雑記 63 / 語られうることは明晰に語られうる

"語りえぬものについては沈黙せねばならない"という命題はあまりに有名だけれども、ヴィトゲンシュタインは『論理哲学論考』(以下『論考』)の序文でこんなことも同時に書いている。

かくして、本書は思考に対して限界を引く。いや、むしろ、思考に対してではなく、思考されたことの表現に対してと言うべきだろう。

『論理哲学論考』p.9(岩波文庫)

芸術について「言葉にできないこと」はたくさんある。あるいは「言葉にすべきでないこと」も大いにある。言葉で表現することは必ず何かを単純化し、言葉というフレームの中に意味を整理する行為だからだ。そこでは必ずこぼれ落ちることがある。そのこぼれ落ちた部分こそが本当に大事で「言葉にできないもの」とか「実感としてある何か」だったりする。
そうした「感じ」が実在することは日々芸術に触れながら暮らし、仕事をしているのでよくわかる。よくわかるというか、それに苦しめられている。

自分の仕事はそれらを翻訳して人に伝わりやすい形に置き換えることだ。相手によって適切な形は異なる。その全てを言葉にすることはできない。全ては作品の側に最初からあるのに、いざ掴もうとするとすり抜けていく。
その人がその作品に対して何を求めているかを想像して考えることでなんとか共通理解のポイントを探るしかない。そして、考えるとは言語化を同時に試みることだ。ヴィトゲンシュタインに倣うならば、言語化できる部分についてはこちらのスキルさえ整っていれば明晰に言語化できていくだろう。(あぁ、そんな豊かな言語能力さえあれば!)
そうして言語化できる部分を可能な限りクリアにしていくことで、そこからこぼれ落ちた物事の範囲を捉えやすくする。「言語化できないこの感じ」の部分へのピントをジリジリと合わせていく。思考されたことの表現の限界に挑み続けることによって、その向こう側の姿を少しでも視界に収めたい。

『日本現代うつわ論』はそうした試みで、僕にとって大きく必要なものだ。日本的な芸術には、西洋美術の文脈とは交わらないズレた感覚がある。これも非常に言葉にしづらい部分だ。例えば「工芸と美術」のような対立軸の根幹にもそれがある。何がズレているのかわからないままに、それぞれに定義を曖昧にしたままにすれ違いを起こして、論じる当人にとって都合の良いようにロジックが弄ばれている。問題の根はもっと深い。そのズレ方に「うつわ」という言葉を仮に当てはめてみることで、捉えがたいズレを心地よいポリリズムくらいにはできるんじゃないかという思いでいる。

「うつわ」であるということはつまり、「道具」であるということだ。
そして「道具」とは誰かが何かを作ったり表現したりするためのものである。 「うつわ」が「道具」であるならば、「うつわ的な作品」はそれに触れた誰かの何かを表現するものとなる。作者にとっての表現であると同時に、鑑賞者の何かを映し出すもの。それが「うつわ的な作品」と言える。
そのような作品は、必ずしも具体的な器である必要はなく、うつわ的な作用の有無そのものが重要となる。

道具の使い方とその表現の仕方にはその人独自の個性が現れる。ゆえに「道具」的な観点で「うつわ」を深く理解していくことは、使う人(=鑑賞者)自身のあり方を深く理解していくことに他ならない。
言い換えるならば、「うつわ」的な表現に向き合うことは「自己」と向き合うことである。

しかしながら、その「うつわ的な作品」には作り出した誰かの個性も反映される。そこには人間がいる。何かしらの思念がある。「作者」という他者の視線がそこに存在することによって、その作品を眺めている私の姿が「うつわ」に映し出されていく。他者の存在なくして、自己を理解することは不可能だ。他者がなければ、差異の認識が不可能となり、差異がなければ個は立ち現れない。

鑑賞者である私の視線と、作者をはじめとした他者の視線が作品を通じて交わるところに、「うつわ」という感覚の豊かさが生まれる。日常言語ではない形でのコミュニケーションであり、それは禅の世界で「不立文字」と言われる何かと通じるものであるかもしれない。
それは突き詰めれば、「工芸」という性質とも関係してくるだろう。
(その意味で、自分は「工芸」と「うつわ」をほぼ同一のものとして扱っている。「工芸」とは「うつわ」という視点から再定義されるべきだ)

『日本現代うつわ論4』に寄せた原稿を完成させてからしばらく時間が経ってしまったので、掲載内容を眺めていたら↑こんな話がつらつらと浮かんできた。過去の自分に教えられてその先へ進もうとしている。



「個」とか「オリジナル」ということについて今年の前半はずっと考えていて、それを足場にした話を掲載してもらっています。
もしこれを読んで何かを思っていただけたらとても嬉しいです。
この本をきっかけにしたお話をしましょう。ぜひ。



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