0222「すまんね、父よ」
インフルエンザに罹患した父が暮らすホームから、兄経由で平熱に下がったので、ひとまず救急搬送的な心配はない、という連絡が入る。
という前から、
「今日くる?」
何度もそんな着信があり、声に少し力が入っているので、まあ大丈夫だろう。
もう、父のこうした体調のことでは、あまり動じない自分がいることに気づく。
彼は非常にタフだ。根源的な生命力の強さを感じる。脳梗塞で半身麻痺になっても、脳血管性認知症が進んでも、おそらくアルツハイマー型認知症を併発していても、そもそも高次脳機能障害があっても、だ。
やっぱり、父はタフだと思う。
そんなことない、可哀想な障がい者だ、認知症高齢者だ。と思う人もいるかもしれない。そゆのとはまた別なのよね。「タフさ」って。
そういえば、昨年は胆管癌騒動もあった。しょぼしょぼ萎れた目元の奥の眼にほとんど誰も注意を払っていなかったので、かなり黄疸が出てからようやく発覚したのだが、肝数値が非常にヤバいことになっていた。
まだホームに入所していなかったので、ショートステイの継続でお世話になっていた施設では、あくまで在宅介護の延長に位置づけされることから、医療機関へは家族の付添いが必須となる。
というわけで、昨年はどれだけ父の通院や入院に付き添ったかわからないほどだったが、胆管癌騒動時もそのひとつ。
CTなどではどうも微妙な影がある。可能性は二つ。胆管に腫瘍ができたか、胆管に石ができたか。
肝数値は、胆管の詰まりにより、胆汁が逆流していることを証明して、どちらかであることは間違いない。
兄と弟とわたしは、みんながそれぞれ複雑な思いを抱えつつ、こんな父ちゃんいらねえという気持ちもそこに混じっていたと思うが、やはり癌かもしれないと告げられると、そこに父の「死」の影を見て、ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ。母が逝ったところじゃないかと狼狽した。
結果として、開けてみればただの石ころで、悪性腫瘍ではなかった。
わたしはあまりに狼狽して、10日間ほどの入院中、うっかり毎日、病院に通って、食事の世話をやいたりしてしまった。一人でご飯も食べられるし、術後の経過なんて良好にもほどがあったのに。
ああ、母もこうやって父の世話をやいてしまったのだなあ。肝硬変末期で、肝がんを抱えながら…。
そう思うと、あくまでマイペースで、病院のベッドに寝転びながら、ヤクルトが飲みたいから売店で買ってきてくれとか、次々に指示を出してくる父の顔を見て、腹が立ったりもした。
家族愛とかそういうのではまったくない。わからないけど巻き込まれてしまう。そうやって人を巻き込む力を、「この人はタフだなあ」と思うのだ。
翻って、今回のインフルエンザのこと。
昨年より今年にかけて猛威をふるったインフルは、しょっちゅうニュースにも登場して、小さな子どももそうだし、高齢者施設でインフルエンザにより入所者5名死亡…などと弱者を狙い撃ちにしたことを告げてくる。
それにびびって、父がインフルエンザでいま逝ってしまったら…と想像してしまい、電話の回数にもびくびくした数日だった。
ひとまず今回の件は落着。
次は何が来るのだろう。間違いなくわたしを放ってはおかないだろう。
こういう小さな動揺とか神経がちょこっとすり減るのだとか、そういうのは「大変な介護」では全然ない。
ただの愚痴になる。
でも、きっとたくさんいるだろうと思うのだ。こんな愚痴なんて言っちゃいけないと心に蓄積して、それが結構な重さになってきている人が。
わたしのようにちっぽけすぎるけど、けっこう心身にくる何かを吐き出せない人がどうかしんどい思いをしませんように。そう願いながら、代わりにわたしが吐き出すのでありました。
なんて、嘘だよな。ただの自分のためだと自覚してます。はい。
ところで、なぜわたしは「すまんね、父よ」などというタイトルを付けたのだろう(タイトルはいつも先に付けてから書いています)。
なんかもう、その段階でやられてるよな。父に。くそう。
心を癒やすために、同じくマイペースな我が家のぬこ様の画像でも貼っておきます。
どうでもいいかもしれませんが、基本noteは推敲なしの一気書きです。メモだから。オチ無し、誤字脱字有り。そこんところよろしく哀愁(誰にいうともなく言い訳しときます)。