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救世主 1
世界遺産の街を一望できる丘の上。街からタクシーで10分。僕は予約の時間を少し遅れていたけれど、そこはメキシコ、焦っているわけでもないのに、渋滞に巻き込まれたタクシードライバーは窓から顔をだしてクラクションを鳴らし続けていた。青い空から照りつける太陽と爆音の音楽、そして道行く人と車が喧騒を作り出す。そんなメキシコのシートが破れたタクシーに乗って僕は家族と丘の上にあるレストランへ向かっていた。
何気なく気になった場所で運命的な出会いをすることは人生の醍醐味だ。僕がそのレストランに行ったのもほんの何気ないきっかけだった。たまたま街で知り合って話した人が、家族でレストランをやってた。それだけだった。
「美味しいから一度おいで」
「あなたは日本人?この街でなにをしてるの?」
「え?日本食?デリ?あの路地裏で?」
「私よく買いにいくのよ!」
というやりとりを数分しただけの出会い。「美味しい」と言われたので行ってみよう。と出かけたレストラン。
僕たちは席について、本当に言われたとおり美味しい料理を堪能したあとに食後のコーヒーを飲んでいた時、そのレストランの店主が挨拶に来てくれた。街で出会った女性の父親で家族経営のレストランを切り盛りしている彼は僕たちのテーブルに隣のテーブルから椅子を拝借して僕たちは何気ない会話を始めた。
「娘から日本人がやってる美味しいデリカテッセンがあるって聞いてたよ。しかも路地裏の小さな場所で。どうしてまた日本から?」
「この街に来てどれくらい?」
「私達は家族経営でこのレストランを始めて5年目。妻がシェフなんだ。」
などなど、本当に他愛もない、でも冗談好きの彼の話は聞いてるだけで楽しかった。
メキシコ人と出会って、会話を重ねると彼らは最後に必ず
「何か困ったことがあったらいつでも相談しなさい。」
と付け加える。社交辞令ともいえるこのフレーズは本当に社交辞令の時もあるけれど、彼らにとって「与える」ということは人生を生きる上で当然の如く自然のことのようだ。それはおそらくカトリックの精神なのだろう。僕は本当にメキシコで「与える」場面を目の当たりにしてきた。
「困ったことがあればなんでも相談。。」と言われたのでいつもなら
「ありがとう」
と言って実際には相談することは稀な僕も、この時は路地裏のテラス席を撤去させられ、警告書ももらって解決策がわからなく本当に困っていたので
「実は。。。」
僕は市役所に何度も直接掛け合ってもダメだった、自分のテラス席について
話してみた。
つづく