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第7話 移民局からの通知

2020年の大晦日に7話になったので、今までみたいに1話、1話URLを貼るのが億劫になりました。早。noteにはマガジンという機能があってまとめてみました。誰が誰だかわからなくなったら遡って一気読みとかもできます。題名は、本当にまあ波乱万丈で嫌なことも沢山あったけど、総じて僕がいる世界は優しさに溢れていいるし、これからの人生は今で受けた優しさをPayForwardして生きたいという気持ちの現れです。第7話なのにまだビザは取れそうにないけど、気長に読み進めてくださいまし。

移民局のパコに最後に会った日から2週間が経とうとしていた。2週間経っても営業許可証は手元にまだ届いていないけれど、それはどこかなんとかなるという変な自信になっていた。パコは2週間後と言っていたけど、どうしても待ちきれなくて何度も移民局に電話をかけてみた。もちろん2週間以内になにかが起きるはずはないのだけど、電話口の女性はその僕の予想を裏切らないかのように

「来週まで待ってから電話してくるように。」

とまるで小さな子供に叱りつけるように言った。

2008年
2月15日 

僕は電話口で途切れ途切れの ”エリーゼのために” を聞いていた。電波が悪いのか途中で何度も聞こえなくなる懐かしいメロディーがいつもと違う対応であることを僕に示していて、心なしか緊張感が高まった。

「ノーティスが出ているので月曜日に取りに来て下さい。」

急にエリーゼがいつもの女性の声に変わって驚いたけれど、もっと驚いたのは何かを取りに来いと言われた事だった。

「もしかして労働ビザが取れたのですか??」

突然の急展開に僕は慌てて聞き返したけれど、相変わらず電話口の女性は冷静で、ただ「それは私にはわからない。」と繰り返すだけだ。僕は慌てて辞書でノーティスつまり ”Notificacion ノティフィカシオン” を調べるけれどそこには ”通知” と書いてあるだけで当たり前だけど何の通知なのかは書いていない。そして、電話口の女性もそれは教えてはくれなかった。2008年2月、スティーブ・ジョブズがI-phoneを発表してから丁度1年程経っていたけれど、地球の裏側の田舎町で誰もまだそんなものを見たこともないし、その通知に何が書いてあるのかを写真で撮って送ってもらうという発想なんて持ち合わせて無かった。僕が持っているのはカメラもなければカラーでもない小さなノキアだったから。まさか今ならLINEで全て事が済むとは思ってもいない。僕には電話口の女性が言うように月曜日に移民局に行ってそのノーティスを実際に受け取ることしか思い浮かばなかった。

2008年
2月18日

朝一番のバスに乗る。サンミゲルまで1時間半、どういうわけかこの国のバス事情というものは他のどの部分よりも優れていて、先進的で飛行機のビジネスクラスを思わせる座席幅と座り心地のとても良いシート、更に飲み物と軽食までついてくるサービスで気が重たい移民局への道中もバスの中だけは心地が良い。バスはカーブが多い山道と荒野を抜ける壮大な景色の中を走り抜け風光明媚な世界遺産の街サンミゲルに到着した。朝一番に着いたのには理由があった。電話口の女性の言うノーティスがそれが労働ビザの発行を意味するのか、それとも申請の却下を意味するのか僕にはわからなかったけれど、労働ビザ発行されるのであれば、その足で首都まで行って開業に必要な買い物をしようと思っていたし、もしも申請却下を意味するのであれば、パコに喰らいついて何が何でも再度申請をしてやろう。そう思っていた。移民局が開く9時少し前に着いたにもかかわらず僕の整理券は10番だった。サンミゲルに住んでいる人達が先に着いているのもあるけど、目の前に事務所があるペドロが誰よりも早く来ていつも整理券を5枚くらいキープしていたのだ。

結局、朝一番に到着したにもかかわらず、1時間程待った後ようやく自分の番。テーブルにつくなりパコは僕に一枚の紙を手渡した。

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労働ビザの発行でもなければ、申請の却下でもない。それは書類不備、不足を通知するものだった。そのオフィシャルな通知には自分の名前とその下に小さな文字で専門的な事が羅列してあって全く何が書いているかわからない。

「ここに書いてあるものを今日から数えて30日以内に提出して。それからまた新しいノーティスが出されるから。」

「これを提出すれば、労働ビザがもらえるんだね?」

「それはなんとも言えないけど、現時点ではここに書いているのが不足していて審査が出来ないということだから、提出した後にまた審査があるのは間違いないよ。ただ、最初の何もない状態からここまで進んだっていうのは確かで、君の申請が却下されていないのも確かだよ。」

パコは黒く細い眼鏡を光らせて、小さな黒丸の内容を僕にこう説明した。

●どういう事業をするのかを詳しくスペイン語で書いたレター。

●必要な資金があることを証明する銀行口座情報でスペイン語、そしてペソ建てに換算したもの。

●アポスティーユをつけた、事業に必要な能力があることを証明する技能証明書または免許の様なものをスペイン語翻訳したもの。

●営業許可証

”営業許可証” またか。。もう何度もこの営業許可証で無限のループに入ったり、抜けたり、また入ったりしたのか。だけど、シルビアのおかげでこの ”営業許可証” についてはすっかり不安は消えていた。30日あればきっと大丈夫だ。上から1つ目はペドロに書いてもらおう。1枚のレターを書くだけでペドロの言い値で手数料を支払うのは癪だけど、こればっかりは自分で書けるものではないから仕方がない。レターに関してはもう全部ペドロに書いてもらおう。そして、2つ目の銀行口座をスペイン語翻訳したものというのもパコが

「インターネットでダウンロードしたもので大丈夫。」

と言っていたし、スペイン語翻訳に関しては

「英語でもOK。残高を見てわかれば大丈夫。」

とのことだった。もちろん ”円” では駄目だということもなんとなく理解できる。この街にはリタイアしたアメリカ人が沢山移住してきていたから、手続きも書類内容もある程度融通が聞くみたいだし、アメリカ人達はドル建ての残高証明を提出しているとパコが教えてくれた。

一つ一つ確認していきながら、テトリスのピースが見事にはまっていく感覚がして僕はだんだん興奮していたけれど、パコが教えてくれた最後の黒丸について聞いた時、上から大量のピースが猛スピードで流れてくる感覚がして震えた。

「君は君がレストランをやりたいと言って労働ビザを申請しているから、君がその技能があることを証明する免許みたいなのを提出しないといけないと書いてある。大学の卒業証書とかそういうのだ。」

「だけど僕は高卒で大学には行ってないし、高校の卒業証書なんてないよ。」

「高校の卒業証書ではだめだよ。」

大学に行っておけば良かった。。とこの時初めて十代最後の青春を勉学ではなく遊びに費やした事を後悔したけど、遊びで得た悪知恵がすぐに働いた。

「だったら、僕は料理もしない経営者ということで、料理はここの人たちを雇用して作ってもらうよ。」

我ながら名案だった。自分が料理をしなければその能力を証明しなくてもいい。得意げに言ったその名案はパコによって一瞬でひっくり返された

「それなら、君が経営者として適切な課程を終えているかという修士課程証明書のようなものを必ず求められるし、この国の料理人を雇うのであれば、その人達の名簿と身分証明がいるけど、まだ何も始めていない君にその準備ができるかい?そもそも労働ビザが取れないのに。。」

「じゃあ、会社を登記してその会社で僕を雇ってもらうようにするのは?」

「会社を登記するたって、FM3を持ってない君が会社を登記できないよ。誰かにパートナーになってもらうしかない。とすれば、最初から違う申請になる。なにか免許みたいなのは持ってないのかい?」

「調理師免許ならあるけど。」

高校を卒業して体裁の為の大学受験には無様に失敗し、その後に調理師学校を卒業していた僕には卒業証書と同時に渡された調理師免許があった。

「それだね!それをオフィシャルの書類として提出できるようにすればいい。」

「でも。。。それは日本にあるんだけど。」

「そこからはまた君の課題だ。とにかく、君にここで開業する上での調理技能があるかということを証明するか、その調理師免許をなんとかしてオフィシャルの提出書類にするか。30日以内になんとかしてクリアしなさい。」

「でも。。。」

喰い下がろうとするパコは僕を制止した。僕の後ろにはすっかり長くなった列が出来ていて、整理券の番号は既に50を超えていた。


つづく

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