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第10話 寛容な社会はチャンスを増やす気がする

門で見つけた大統領府からの封筒を手にして僕はアパートの部屋へと戻り丁寧に3つ折りにしてある手紙に目を通した。いつも抱いていたいい加減でアバウトなこの国のイメージとは裏腹に手紙の内容は実にフォーマルで聞いたこともないスペイン語が羅列してあるけれど、意味はなんとなく理解できた。

「貴殿から頂いた便りの内容については大変に感慨深く、出来ることなら上手く事が運ぶように助言をしたいけれど、移民局と大統領府とは全く異なる機関であり、移民についての判断は移民局の厳粛な査定を尊重し我々の手が及ぶところではない。。。」

というような内容で、つまりどうすることも出来ないということが書かれていた。何度も何度も読み返してみたけれど、何度読んでも「是非、この手紙を移民局に渡して下さい。」というような内容は書かれていなかった。「これも駄目か。。」と観念して手紙を封筒にしまって、もう一度アパートを出てカフェに向かおうとしたその時、突然、携帯電話が鳴った。

「貴方の家を探しているけれど見つからなかったので、お届けする予定だった郵便物を事務所で預かっています。もう一度、配送するから所定の送料を支払ってください。払ってもらわなければ、差出人に返送しますね。」

家が見つからなくて郵便物が届かない?真面目に言ってるのか?冗談なのか?だけどこんな冗談誰が言うんだよ。

「ずっと家で郵便物が届くの待ってるのに、家が見つからなくて届けられないって。。そんなのそっちの勝手でなんで追加料金払わないと行けないんだよ。」

「1回ならいいけど、もうこれで3回目なんだ。もうこれ以上は探せない。」

そんなやりとりを何回か繰り返したけれど、結局のところ郵便物を持ってるのは相手で仕方がなかった。日本から届いているというその郵便物は間違いなく母が送ってくれたもので、僕はどうしてもその日のうちに手に入れたかったから追加料金を支払うことに了承し、そして詳しくアパートの場所を説明してから結局カフェには出かけず、数時間アパートの一室で待っていた。窓の外から坂を息を切らして登ってくる配達員が見えた。
追加の送料のレシートと厳重に梱包された国際郵便を持って僕はアパートの部屋に戻って封筒を見上げた。透明のビニールの上から日本語が見える。さっきまで憤っていた電話口での対応も、面倒くさそうに郵便物を手渡す配達員のこともすっかり忘れてしまって僕は封筒を開けた。ゆうパックのロゴが懐かしい。その封筒を開けると、そこにはアポスティーユが貼ってある僕の調理師免許と戸籍謄本、そして母からの手紙が入っていた。時計はまだ正午前だったから、僕は急いで文具屋に行って新しい封筒を買い、そのまま郵便局まで走った。首都にある政府公認の翻訳家のところへ届いたばかりの書類を郵送し、銀行に行って翻訳手数料を振り込むと、電話で書類の送付と入金の確認をしてからカフェへと向かった。速達で送った書類が首都の翻訳家のもとに届くのが早くて明日。それを翻訳してまた速達で送り返してもらうのに3日。遅くとも次の週の半ばには移民局で通知された不備の書類は全て揃い提出できる。そう思った僕はバラバラだったパズルのピースがようやく一つの模様になるのを感じながらカプチーノをすすった。 

4日後に到着するという僕の予想は外れたけれど、翻訳された書類が届いたのは7日後だった。集まった書類を重ねると一回目に提出した基本的な書類達に比べて、なにかとても専門的な手続きをしているんだと自覚できるくらい立派なファイルになった。それを見ると非の打ち所がないように見えて何故かうまくいく気がして仕方がなかった。

2008年
3月上旬

ガチャンガチャンと機会的な音を立てながらパコが僕が提出した書類一枚一枚に日付のついたハンコを押していく。時々、書類の並びを変えながら、3週間前にもらった通知を見比べて順番通りに整理していた。

「Muy Bien オッケーだね。特に問題はなさそうだよ。調理師免許も日本国のオフィシャルなものだし、銀行口座の残高は。。。とても少ないけれど、実はあまりこれは問題ではない。この国は君たちの国と比べると物価も安いからね。ただ一つ。君がどういう商売をしたいかを説明するレター、書いていることは理解できなくはないけれど、君が書いたのか? もうすこし丁寧でフォーマルな書き方でないと確実に差し戻される。移民局の向かいにペドロという代行屋がいるからそこで書いてもらいなさい。」

「ペドロの事は知ってるけど、たった1枚の書類を書いてもらうのにあの人に頼むと高いんだよ。。。」

「でも、このまま提出したら必ず訂正を要求されて差し戻されるよ。そうすると今のレターを審査に出すのに2週間、訂正を要求されて新しくレターを書いて、それを提出してまた2週間。単純に計算して倍時間がかかるけど、それでも良いかい?」

諭すようにパコは、ペドロのオフィスに行くように促した。

「整理券は取らなくていいよ、帰って来た時に対応している人の次に呼ぶから。」

パコはそう言うとまた僕の次の人を対応するために番号を読んだ。移民局の外に出て、道を渡る。ペドロの事務所の外には順番待ちの列が出来ていて、中を除くとペドロが忙しそうにパソコンの画面とコピー機とを行ったり来たりしながら手際よく仕事をこなしていた。餅は餅屋だけあってペドロは僕の拙い説明でもどんなレターを書けばいいかわかってくれた。確かに高い代筆料金ではあるけれどパコの言う通り審査の後に差し戻される事を考えればペドロに頼む方が賢い。僕は前回ペドロに頼んだ時にそう思っていたけれど結局自分で書いてしまったのだった。僕のレターを書き終わるとペドロは提出する用と受領印を押してもらう用にコピーが必要だからとわざわざ1枚コピーをとってくれた。もちろん、相場の3倍だけれど。

この日は何もかもがスムーズに進んでいた。移民局は今までと比べて待つ人が少なかったし、ペドロも機嫌が良かった。パコは戻ってきた僕を見つけるなり手招きしてデスクに誘ってくれた。

「じゃあ、2週間後に移民局に連絡をするように。何かしら通知がでるはずだから。」

「これで労働ビザが発行されるんだね。」

「それはわからないけど、まあ見た感じ大丈夫そうだね。確実なことは何も言えないけれどね。」

2008年
3月15日 

長い長い2週間がだった。サンミゲルのバスターミナルから移民局へ向かう途中、ところどころ無造作に植えられたハカランダが少しづつ色をつけてきていて僕の歩くスピードを心なしか遅くしていた。移民局に着いてからいつものように僕はパコの目の前の整理券をとろうとした時、パコは「ここじゃない。」と言ってデスクでなくその向こうにある窓口にある整理券を取るように指をさした。そこはパコのように新規の申請を受け付ける場所ではなく、既に申請済の人を前回の来局で渡された受領書に基づいて対応をしてくれる窓口だった。僕の整理券番号を呼んだ体格の良い制服がとても似合う女性は受領書の番号をパソコンに打ち込んで、そして積み上げられたファイルの山から僕のファイルを見つけ出してまたしばらくパソコンの画面を見つめていた。

彼女は窓口で待っている僕のところにやってきてファイルの名前と僕のパスポートの名前が一致しているかを確かめてから僕に言った

「いまから指紋を取ります。10本全部ね。この四角の中に一本づつお願いします。」

「指紋?何の為に??僕なにか悪いことしましたか?」

全く予想もしなかった展開に戸惑う僕を彼女は子供のようになだめながら朱肉を僕に差し出した。

「なに言ってるの?貴方の労働ビザ用よ。冗談言ってないで1本づつ早くお願い。」

「え?今なんて?もしかして労働ビザをもらえるってこと??」

「そうよ。だから指紋がいるのよ。ところで証明写真は撮って来てくれた?」

「証明写真??そんなのないよ。聞いてないし。。証明写真がいるの?」

「証明写真がなかったらどうするのよ?パスポートだって証明写真貼るでしょ?撮ってきてないなら、向かいのペドロのところで撮ってきなさい。戻ってきたら教えてね。」

またペドロか。。。きっと証明写真も他所の倍くらいするんだろうな。と思いながらも僕は自分でもにやけているのがわかった。「やっと労働ビザが取れたよ!」と嬉しそうにペドロに伝える僕に「そう。良かったね。」とそっけなく返すペドロの顔も笑顔だった。

窓口に戻ると、彼女は写真をクリップでファイルにとめて、新しい受領書を印刷して僕に手渡した。

「2週間後に取りに来て下さい。」

”2週間後” もう何度も聞いた ”2週間後” だ。でも今回の ”2週間後” は今までのどんなものよりも違う。もうどんな書類を出せばいいのかとか、もしかしたら却下されるのではないかとか不安にならなくてもいい。2週間後には労働ビザが手渡されるんだ。こんな事があるのだろうか?まだ信じられないけれど、色んな人の優しさのおかげでどうにもならないと思っていた労働ビザが取れたのだ。

僕は移民局を出たその足でバスに乗った。労働ビザが取れたのなら、すぐに開業の準備だ。そう思った僕は自分が住む街では見つけられなかったお惣菜を陳列するショーケースを探す為に首都に向かうバスに乗ったのだ。

言葉も片言で観光ビザで仕事もない、この国からすれば頼んだわけでもないのにお店を始めたいから労働ビザをと言った外国人にこの国の人達はとても寛容だった。優しかった。最初の移民局の局員を除いては、決して誰も僕を見下したり、差別することはなかった。この国の人達は寛容だ。与えることも受け取ることも。世の中が寛容になればなるほど、チャンスが増えるのではないか?窓から外を見ながら僕にはそう思えて仕方なかった。
青い空の向こうに太陽が色を変えて沈んでいく。サボテンの木がところどころに身をつけ、乾いた大地に少しだけ潤いを与えているようだった。バスの

まさかこの日に労働ビザが発行されるなんて思ってもなかったから着替えの下着もなにもなかったし、首都に着いてどうやってショーケースを見つけるのかも考えてなかったけれど、そんなことはどうでもよかった。これで開業準備を始めることが出来る。そう考えただけで僕の足取りは軽かった。


つづく



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