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十五夜の月に疲れた夜更かしさん
十五夜は曇で見られなかった。前日見たからいいか。前日は、待宵の月だけどほとんど満月ということで。前日と同じ写真を上げるのもなんなんで、今朝の朝焼け。秋もあけぼのだよな。枕草子では秋は夕ぐれだそうだ。実際に夕ぐれも綺麗だけど朝焼けと変わらんな。
昨日も引きこもり。映画の感想がなかなか書けず今日になってしまった。
書き忘れたことがあった。クラシックバレエは天を目指すがコンテンポラリーダンスは地を這う。これはヒロインに言わせる言葉だが、だいたい古典主義は天を夢見るのだ。それが神だったり夢だったりするのだが、リアリズム芸術は地を這う人々を見るものだとも言える。そのバランスだよな。地ばかり這っていたらそこで終わってしまうし、夢ばかり見ていても現実的でないし。
だいたい日記に書いたことは実現するようにしているのは言霊があるようなふりをするのだ。今日はトイレットペーパーを買ってくること。先日トイレの紙がない詩を書いたので言霊になってしまうかもしれない。だから今日は逆の言霊を叶えるのだった。残り一ロールしか無かった。
読書は、ペ・スア『遠きにありて、ウルは遅れるだろう 』を読んだ。吉見 義明『草の根のファシズム』。この人は「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」について書いている歴史学者。それらは数多くの人の証言を聴く作業だから功名心から余計なことを言ってしまう人もいる。そうすると部分的にそのことを揚げ足に取って間違っていると大騒ぎするのがネトウヨらだった。そういう手法はナチスのアウシュヴィッツは無かったというアホな論と同じ論法というか、それらを真似て日本でも数の多い少ないで「南京大虐殺」は無かったとするのだった。そういう勢力が櫻井よしこのような評論家を生み出す。御用学者という輩だった。ほんとここ何年か多いよな。TVで堂々と発言していたりするから、三浦瑠璃とかもそうだった。日本のニュースしか見ない人は、ほとんど権力側の発言を疑おうともしない。「草の根ファシズム」が形作られていくのはそういう状況なのである。例えばシンガポール陥落に志賀直哉が日本の喜ばしいことだったとか新聞で発言する。シンガポールの人々のことなど考えない。そういうことだった。
まあ一五夜に一斉に月を見る民族だからかもしれないな。他の日も月は輝いているのだが。
まあ、そういうことが嫌いなわけでもない。一五夜が見られない代わりに音楽を聴いた。
そして「月に憑かれたピエロ」を聴いていたら寝てしまった
今日の一句。
一五夜の月に疲れた夜更かしさん