李白以前の遊仙詩(老荘思想)の到来
『文選 詩篇(二) 』(岩波文庫)
詠史は叙事詩的な英雄詩なのだが、始皇帝(三国志)のあとに国が乱れて八王の時代になると、風刺詩「百一」や戦乱を逃れて山に隠れ棲む遊仙思想が出てくる。それは老荘思想を育んだ神仙思想でファンタジー詩のようなものだろうか。その頃から思想的に個人というものが芽生えはじめていくのかもしれない。
第二巻は、その遊仙思想の詩をさらに発展させたもので、招隠は隠遁生活を営むことで、その反対詩として都に還れという「反招隠」が出てくる(ただそこに老荘思想があるという)。
遊覧は宮廷詩人が権力者の遊覧地の贅沢三昧のような。山水画のような優雅さと壮大さを詠んだ謝霊運と顔延之が「顔謝」と称えられた文帝(漢・南宋)の時代の文壇詩人。
「 詠懐は「竹林の七賢人」(無理やり仏教の故事に合わせて七賢人としたのだが、重要なのは 阮籍と 嵆康が『文選』にも取り上げられている)として有名な阮籍の「詠懐詩十七首」が存在感ある長詩(八十二首あるうちの十七首)なんだが最初に「秋思」(俳句の季語にもなっている秋に思うである)で始まり、叙事詩的な物語となっていく。これは李白の先駆けかもしれない。最初の抒情は秋の季節から、その後に歴史上の人物の衰退(盛者必衰)が描かれるのだ。阮籍は酒を酌み交わしながらこれらの詩を詠んだのかもしれない。
謝恵連「 秋懐」は、秋思の詩で阮籍の「詠懐詩其の一」であり秋思の抒情詩である。謝恵連は謝霊運が大謝と呼ばれたのに対して小謝(同族の弟分か)と呼ばれたのであるが、この「秋懐」は謝霊運の詩をも超えるとされた。その後に欧陽建「臨終詩」が続く。
哀傷は挽歌のようだ。主に非業の死を遂げた者の憤慨やるせない思いを詩にした、嵆康(先ほど述べた「竹林の七賢人」の一人)「幽憤詩」。
曹植「七哀詩」。兄曹丕に破れた魏の皇族。 王 粲「七哀詩」は董卓の乱に遭遇した詩。
潘岳「棹亡 詩」「棹亡」は死者を哀悼するの意味。ここでは亡き妻に捧げる詩。人麻呂「泣血哀慟の歌二首」に通じるのかもしれない。
歴史的悲劇から個人を哀悼する詩に変化している。
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