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夕霧も困ったお人だが、光源氏があれだからか。

『窯変源氏物語 (10) 』橋本治(中公文庫 )

日本語の美文はどうしても七五調になるが、平安朝のものはどこか破調が必要。七五調になる前の際どい美しさ。(横笛/鈴虫/夕霧/御法/幻)

「横笛・鈴虫・夕霧」は光源氏の息子夕霧の不器用な恋だが、そんなことに関わっているときに「御法・幻」、紫上が亡くなっていく。光源氏は、結局は紫上を幸せに出来なかったのか?最後まで出家させずに置いたのは良かったのか?虚しさだけが残る。それが「幻」という幽玄さの美であるならば現実としての恋の騒動は夕霧のようなものなのか?夕霧が美しい青年であるならば雲居の雁は浮気ぐらいでドタバタしてという花散里の言い分は待つ女の慰めなのか?次世代とのギャップを感じてしまう。結局、紫上が幸福だったと思えないことが光源氏の後悔としてある。


「横笛」

柏木の遺言を巡って夕霧が落葉の君の面倒を見るのだが、落葉の君の優雅さは同じ姉妹でも女三宮とは月とスッポンで、どうして柏木はスッポンの方に心を寄せたのか、よほど落葉の君は容姿が落ちるのかと思ったりするのだが、落葉の君が琴を出して演奏する月夜の訪問とか、堅物の夕霧も恋心が起きてくるのだった。そして雲居の雁のところに帰っても子供がうるさいだけのように感じるのだった。

「横笛」では柏木が夢に現れて、光源氏とのわだかまりを取り直して欲しいと現れ、落葉の君のところで預かった横笛を光源氏に渡すのだ。それが薫のものになるのだが、薫は光源氏の血縁でもちょっと変わった子だという。それは柏木の影を含んでいるからなのか、そんな感じでうだうだ続いていく。

「夕霧」

柏木の妻の女二宮(落葉の君)に入れ込んでしまう不器用な恋バナを喜劇的に描いていた。女二宮の拒絶があまりにも凄いので鬼嫁(雲居の雁も鬼嫁になっているので、鬼じゃない菩薩と言えば夕霧の母代わりの花散里ということだった)とか書かれている。それだけ貞操感がある人なんだが、母親が皇族でも光源氏の母のように更衣という一段低く観られた存在でもあったから、階級意識が強いのだった。あまりにもしげしげと通っていっては拒絶され、母親からの返信が雲居の雁(夕霧の北の方)に見つかって母親と付き合っているのではないかと疑われたりするのだった。

「御法」

夕霧の不器用な恋騒動の間に紫上の様態はかなり悪化していたようで、気づいたら虫の息だった。二条院に移されたのだが六条院の花散里と明石の君とのお別れの様子やその娘である明石の姫とのやり取りが光源氏も近づけないほどの愛情深いものだったようである。光源氏ははたして紫上を幸福にしたのか?今頃になって考え込むのだが、不幸の元凶なのはお前だと読者に突っ込まれない方がおかしい。夕霧が紫上の死後の顔を見て改めて惚れてしまうのだが、夕霧の不器用さが何も出来ずに終わったことは光源氏にとっては良かったことなんだろう。それにしても女三宮が出家してもはしゃいでいるとか批判が耐えないのだけれども、紫上よりも晩年は幸せだったと思う。

「幻」

光源氏の『源氏物語』はここで終わるのだが、それほど印象深くは無かったのは、やはり紫上の方が良すぎたからかな。あまり内容を覚えてない。匂宮と薫のことが出てきたかな。匂宮と紫上の話はその前だったよな。

掻きつめて見るもかひなし藻塩草同じ雲居の煙とをなれ  光源氏

紫上の手紙を読んで焼くのだった。


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