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シン・俳句レッスン185



突然ですが、ここは200号でとりあえず締めます。「シン・短歌レッスン」と「シン・現代詩レッスン」は当分継続ということで、ここを締めたあとに「シン・文学レッスン」で読書会形式にしようかと。まだ漠然としたイメージなので、俳句は日記で継続していきますけど、とりあえず自分の俳句に答えが出た感じです。

芭蕉の風景

小澤實『芭蕉の風景 下』から第六章「上方漂白の頃」より。

『おくのほそ道』を終えて二年間関西で暮らした芭蕉だった。京都、大津、そして郷里の伊賀上野。この時期は老いを意識するとともに「軽み」へと向かって行った。

うきわれをさびしがらせよ秋の寺 芭蕉

命令系で作るのは年寄りの証なのか。最近命令形の句が気に入っているのは、いままで命令される側だったのに命令してもいいんだと思ったからである。無論そんな部下はいないので自然に命令するのだ。この句は「嵯峨日記」では、

うき我をさびしがせよかんこどり 芭蕉

になっているという。最初の方がいいと思うが下の句は季語がないような。「かんこどり」が「かっこう」で夏の季語だという。意味がかわってくるような。上だと秋を待っている感じだが、下は客観的な店の主人でもいいわけだった。西行の本歌取りにしたということだった。

とふ人も思ひ絶えたる山里のさびさなくば住み憂からまし 西行

「秋の寺」では「秋」も「寺」もさみしさを現したもので付きすぎるということだった。ただこれは寺の和尚への挨拶句ということだ。下になると独白ということになる。やっぱ上の句のほうがいいよな。

春先の小梅よ招け大安吉日 宿仮

昨日天満宮に行った記念に。

たふとさにみなおしあひぬ御遷宮 芭蕉

御遷宮は「伊勢の御遷宮」という秋の季語なのだが、芭蕉の時代にはまだ認められていなくてこの句が出来たから季語になったという。「新季語」なのだという。新季語をつくってみたいぞ。

遠い道ついに出版コミケかな 宿仮

コミケは夏と冬だったんだ。だったら、これでどうだ!

遠い道ついに出版冬コミケ 宿仮

やっぱコミケで俳句を作ろうとした人がいたんだな。これでもうコミケも季語だった。そもそも冬が明確な季語だった。

硯かと拾ふやくぼき石の露 芭蕉

硯のような石を拾っての一句。これは西行を踏まえていいて、西行の硯は自然石の硯だという。芭蕉はそのような石を拾い上げて西行が使った硯かもしれないとイメージするのだ。石の力は巨岩は神石に見立てられるが、石も自然神と見るならば、「無能の人」のつげ義春の漫画もアニミズムと言えるのかもしれない。

義春や無能の人の川遊び 宿仮

初しぐれ猿も小蓑を欲しげなり 芭蕉

「欲しげなり」の「げ」は比喩の接頭語で、『猿蓑』という俳諧撰集はここから来ているのだという。あまりにも「猿蓑」の喩えが見事だからということなのか?「初しぐれ」は冬の季語。そして猿が蓑を欲しいというイメージは実際の姿ではないのか?漢詩では啼猿が有名だが、其角のこの句の解釈が凄かった。

わが師、芭蕉先生が『おくのほそ道』の行脚を終えた後、伊賀へと超える峠の中で、掲出句を詠んだ。発句の猿にあえて小蓑を着せたことで俳諧の神髄を注ぎ込んだので、たちまちくの猿が命を得て現実の猿と化して、腸が絶たれるほどの悲しみの叫び声をあげたそうだ。まことに恐ろしい魔術である 其角

小澤實『芭蕉の風景』

恐るべき言霊師の芭蕉だった。叫び声まで聴こえるとは。

幻術師幻影あれば幻聴もあり 宿仮

単に精神病な人かな。幻を三つ重ねて現実と。

初雪やいつ大仏の柱立 芭蕉

これも「猿蓑」の句の応用か。すでに消失した大仏を雪の中で蘇生させるマジック。「柱立」とあるように柱だけはあるのだ。だがまだ柱だけの中に大仏の像を見るのである。芭蕉は菱川師宣の「露座の大仏」を見ていたとする。

芭蕉は杜国とかつて大仏見物をして、その姿を思い出しているという。最初は「雪悲しいつ大仏の瓦ふき」だったのを「雪悲し」を初雪に会えた喜びの句に変えたという。

初梅や酸っぱい思いも甘い香 宿仮

下五がぶつ切りだった。あまいか?という疑問系なのだが字足らずだった。中八なので全体で一七音。

NHK俳句

題「春泥」
兼題「春泥」で句会開催。中西アルノの句の助詞「も」に議論白熱。一文字で変わる俳句の世界。サンキュータツオが思わず採らされたという俳句の意外な作者とは。

第四週は句会が面白いのだが、何故かそういう句会には巡り会えなかった。そうだネット句会の選評があった。思うんだけど選評でも正直意見がいいにくい雰囲気を受ける。誰もあまり発言しないというか、待ちの姿勢みたいな。切磋琢磨して自身の句を鍛えるという雰囲気がない。最も選ばれての話なのだが(その前に選ばれていないので、駄目なのかと思ってしまう)。

春泥をミッキー・マウスの歩きにて 高野ムツオ

ミッキー・マウスが意外性でいいと思う。ただ春泥でなくても雪の日でもいいのかなと思うと佳作止まりか。若者受けを狙ったような。特1並2。ミッキーマウスは比喩で歩きだよな。固有名詞が強すぎる。韻文的に駄目。

春泥の祝福受けてボンネット サンキュータツオ

エンコした車かなと思う。祝福されているのだから結婚式の車だろうか?先行き不安の中に春の暖かさがある。これを特選にした。高野ムツオと同じ意見だった。「受けて」の助詞の「て」が曖昧だという。この説明はよくわからなかった。トラックとかの春泥がボンネットの上に跳ね上げるということだった。祝福が強すぎというのはあるかも。祝福からだと結婚式を連想させてしまう。

春泥の湖国に訪へり観世音 角谷昌子

上手い人かなと思うけど新しさがない。観光地的な句。この人蘊蓄ばかりだな。

春泥の行く手輝く人も木も 浅川芳直

特2並1。以外だ。春泥の中を歩いていく人と到達する木の姿なのか。ただごと句のように思えたが、味わえばそうでもないのか。人も木もがありきたりな情景だと思うのだが。草木思想とか。仏教的なのか。


春泥や荼毘の煙も雲になり あるの

なんか小津の映画っぽいな。ありきたりのイメージなので取りにくい。でもこれが特選2並選2でトップだった。循環を詠んだということだった。

細かい助詞の話とかされるとよくわからない。やっぱ蘊蓄俳句が多いような。

<兼題>和田華凜さん「桜・花」、高野ムツオさん「燕(つばめ)」
~3月3日(月) 午後1時 締め切り~
<兼題>堀田季何さん「麦の秋」、岸本尚毅さん「空」
~3月17日(月) 午後1時 締め切り~ 

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