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哀愁やわれ嬲りつつ川柳か

『今日から始める現代川柳入門』杉山昌善

今はやりの川柳、中でも現代川柳は、涙あり、笑いあり、サスペンスあり…17音字で作るドラマです。
自分を主役にして、そのときそのときの自分の心情を五・七・五に吐露する。
17音字のラブストーリーになるのか、重厚な人間ドラマになるのかはあなた次第。
そんな川柳の基本を、本書ではできるだけやさしく、わかりやすく解説。
また、著者による添削Q&Aも紹介。誰にでもすぐに楽しく作れる、川柳の魅力満載の入門書です。

現代川柳は十七音字のドラマ

川柳も「サラリーマン川柳」のように世相を皮肉っていればいいと思ったら、現代川柳は違っていた。俳句は自然を詠むものだが、川柳は人を詠むものらしい。だから無季なんだ。

川柳は、柄井川柳という江戸時代の人の名前から来ていた。俳諧が連句という形式で、俳句は発句五七五は格調高く、切れ字や季語を入れて全体的に見渡せるものを詠む。それに続く七七は問いの形で、例えば「にぎやなことにぎやかなこと」と繋いでいく。それを受けて次の五七五は「前句」と言って機知(ユーモア)で返さなけれならなかった。先に問い「にぎやかなことなんだ?」に対して。

ふる雪の白きを見せぬ日本橋

これもろ俳句になっているんだけど。まあそういう関連性はあって季語や切れ字に縛られないというのが川柳で、あと人を詠むということか。難しい。

そこに現代川柳はドラマ性を詠む。

雨の日のダイヤル通じそうで切る  時実新子

ダイヤルというのが前世代だけど、不倫な感じのドラマ性を感じるということだ。そこは短歌もドラマ性だと思うが一緒だな。

初デート井の頭公園は予定説  やどかり

こんな感じか?

初めての川柳

「うたの日」のお題が朝になっても出ないから、今朝は川柳レッスンになった。俳句は風景を詠む、川柳は人を詠む。そして、俳句は遠景で川柳はクローズ・アップという。人間の喜怒哀楽の感情を織り込む。

川柳の三要素。

「穿ち(うがち)」事や核心に巧みに触れること。

「軽み」軽やかで気が利いていること。

「笑い」うれしさ、おかしさ、自分を馬鹿にした気持ち

川柳はゴーゴリの「笑い」の文学だな。

そして3つのグループがある。

「伝統川柳」人情の機知を詠む。江戸情緒という感じか。お題の問いに対して機知で答える。NHKラジオの「ぼやき川柳」がこの感じかな。

これも投稿したことがあったのだが難しいのだ。

お題「とんぼ」は

「草野球フライ捕れぬがとんぼなら」
「孫帰りじじとふたりで竹とんぼ」 
「複眼でウインクされたどうしよう」

最後はよう分からんけどお爺ちゃん川柳だな。

「時事川柳」これが「サラリーマン川柳」で時代を切り取る。例えば「介護川柳」とか。「町おこし川柳」とかもあるらしい。

車椅子外車がいいとだだをこね

「現代川柳」五七五の自画像。俳句の尾崎放哉や山頭火らの自由律は人間を詠むことで川柳と俳句の境界も曖昧になっているという。

どうしようもないわたしが歩いている  山頭火

ただ自由律は人生哲学のようで重いんだな。軽みを生かしたのが川柳ということか?

人を馬鹿にしたようなものや駄洒落を連発するのは「狂句」と言って、川柳では好まれない。あくまでも自分モデルなんだな。

「ドラマチック川柳」ドラマのように恋や家族や人生で自画像を詠む。難しいな。ドラマを感じさせるものか?難しすぎない?ポートレイトで良いと思う。

最大の謎はわたしの今の顔

自虐であることなんだな。自虐が人類全般に繋がっていくとか。ゴーゴリ『外套』の世界観だな。

現代川柳はゴーゴリの五七五から始まった  宿仮
鼻ニキビ触っているうちに芥川  宿仮

こんな感じか?ゴーゴリ→芥川経由の「鼻」川柳。ちょっと芥川だと格調が高すぎる。

鼻ニキビ触っているうちに噴火する  宿仮

こんな感じ。桜島でも良かったかな。

フィクションを楽しむ。文学ということだな。

実践現代川柳作法

「題詠」は通常の投稿川柳のお題。ここから始めるのが良し。「口語」が基本。差別用語は✗。専門用語も避ける。これ難しい。あまり文学的になってもいけないんだ。軽快ということだだな。固有名詞もみんなが知っているものに留める。

中七が大切。中七のリズムだった。七音にするということ。上五は字余りでも影響はない。

俳句で使われる「切字18字」は「かな、もがな、し、じ、や、らん、か、けり、よ、ぞ、つ、せ、ず、れ、ぬ、へ、け、いかに」知らんかった。川柳はそのうちの「や、かな、し、よ、ぞ」をよく使う。ワイの俳句だった。ただ「かな」は俳句では詠嘆、川柳では共感。がってんだ!

読みにくさによるものや意図的な一時空けは許される。

「て、に、を、は」を省くいてリズムを整える。「が」や「で」も同じで説明的なものは省く。これは俳句も短歌も同じだ。

夫は「おっと」でも「つま」でも詠み方に合わせる便利な言葉。これも俳句や短歌と同じだが、ありきたりな句になるような。これは自分の中では禁止。

ルビ(フリガナ)原則禁止。このへんは難しい語句を使わないという自分のセオリーにも繋がる。偉ぶるな、と。

句の中の色や音をイメージする。これも俳句と短歌に共通する。情念の「赤」、心の哀しさ「白」、覚悟の「黒」。対句にする場合は目障りになるので、一色で。これは使えそう。

音の句。遠花火、遠雷、波なども有効。

オノマトペも有効。

具象は少なめに。高尚すぎるのだな。俳句や短歌向き。具象の究極は、その具象に作者を重ねる「代替願望」。これよく使いそう。ただ高尚すぎる句になると思う。

人間を少し休んでいる鸚鵡

ぱっと読みはよくわからんが味わい深い。これは俳句に近いかも。哲学的だよな。

省略の文学。これは韻文一般に言われていることだった。

悲しさと明日があった芽の時代

これも川柳なのか?季語のない俳句と考えた方がいいのか?あまりこういう大げさな句は好きじゃないが。

流行語の省略は避ける。これは良くやるけど、でも一般的なら良くねえ。スマホとかスマートフォンなんて誰も言わねえ。何故か江戸弁になる。

慣用的な語もOK。ここも俳句との違いだな。

かみさんや泣くなよしよし寝んねしな

保守的になるんだな。

比喩は歓迎。直喩「~のような」、暗喩(象徴)。決めつけの暗喩。

ズルズルと水溶性の二人です

これは俳句や短歌でも有効だ。

現代川柳の笑い

諧謔と自虐。

女房を下取りするという話

これは避けたい。上から目線。

鬼は外 わたしはいつも外にいる

これがゴーゴリの「笑い地獄」。チャップリンの映画のようなとは言い得て妙。

現代川柳は詩。詩的すぎてもいけないような。難しいな。

言葉が動くのは良くない。これも俳句と同じだ。かなり俳句と重なるのは俳諧(連句)という同根だからか?俳句のルールが通じる。

俳号ではなく、流号というのだ。当分宿仮でいいな。宿借にするか?

説明でなく心の揺れを。これは全ての韻文に大切なこと。

歯を磨く生きる匂いと血の匂い

これは川柳では高尚すぎるな。俳句か短歌にしたほうがいい。

林檎噛む生きる匂いと血の匂い  宿仮

理屈の句は好まれない。これだ。やってしまうのは。

喜怒哀楽の求心力が強いのは怒哀。だが現在は距離感を求める傾向になるから喜楽の方が好まれているのだと思う。特に「うたの日」はそいう傾向。喜楽を共にしようという共感性。そこがブルース俳句には合わないんだな。

第一発想を捨てる。説明的な理屈句になってしまう。この傾向はあるな。なかなか第一発想を手放せない。そのときは気持ちの強い語句より、脇の語句を活かす方法。

井の頭公園の象は檻の中別れるように祈っていた

井の頭公園にこだわりすぎた。祈りのほうを活かす方法を考えるのだな。

檻の中祈りの象は砂を撒く飼育の人よ象を放て!

またスローガンになってしまう。ひざまずけぐらいがいいのだろう。「飼育の人よひざまずけ」字足らず。

句の中に対立と葛藤を。川柳でそこまで出来るか?

草毟(むし)る 毟り毟って母許す

上から目線の高尚過ぎる句だな。ネガティブな感情をポジティブにするということらしい。

檻の中祈りの象は砂を撒く飼育の人は静かに砂を掃く

形としては出来ているな。あとはリズムだ。

檻の中祈りの象は砂を撒く砂を掃く人 象を宥(なだ)めた

こんなもんか?

緊張から危機へ。これは今の人は流行らないんだよな。危機感の欠如だからこんな社会だとも年寄りの愚痴も零したくなる。

究極の危機感は死。そこから生に反転させる。

意地悪精神を大切に。批評精神。これもそうだと思うのだが。適当に幸福で、適当に不幸。このへんだろうな。適当に意地悪。いい人を演じないということか?

恥ずがしがらない。自虐だからな。仮称の自分と割り切ることだ。これは出来る。川柳が出来たら投稿(だれかに見せる)。これはやっているがいつも球を受けっ取ってくれる人がいない。音一つで満足すべきなのか?そのうちに誰か受けっとってくれるだろうぐらいの気持ちで。剛速球すぎるのだ。八割だな。

類句に注意。指摘されたらすぐに謝る。好きな詩人の猿真似しがちということらしい。

川柳も「恋」が一番作りやすいのだと。これは課題だった。

川柳で自分史、日記みたいなものか?川柳で日記の題名にすればいい。

「庭(に、は)」の助詞を「野(の)」にする。これは具体的だ。

開き直りの川柳。このへんは自分に合っているかも。

ひとりもん夫は詠まない爪楊枝

やっぱ家族川柳が多いな。

そっか「ホームドラマ」は作れないのだ。「ラブ・ストーリー」か「サスペンスドラマ」これだな。

「結論」出さないのがコツ。例句。

切れそうで切れない僕の縄梯子

やっぱ僕だな。

コメディは笑いの他に哀愁を持ってくる。これが難題なのだ。例句。

道化師の仮面の下に父の顔

作品鑑賞、現代川柳五人衆。

荻野久美子

遺伝子の螺旋こじれているアタシ

しゃがみ込み平和ですかと鳩に問う

大西俊和

階段が今日も私を待っている

どんぶらこ独りぼっちでどんぶらこ

金子喜代

身籠らん 君の吐く息全部吸う

君を待つ 靴先で蟻嬲(ありなぶ)りつつ

「蟻嬲りつつ」が凄い漢字だ。


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