シン・俳句レッスン78
日記の方で門松の写真アップに失敗したので、noteで探していたらちょうど良さそうながあった。これから各家の門に付けに行くのだろうか?門松を飾るという習慣がこれまで無かったので、門松についてはよくは知らないのだ。
これは面白いな。いかにものらネコは近づけない家のようでいい。
句跨り。「あいだをのらね こすりぬけ」。
俳句の達人(沢木欣一)
上のサイトは凄いな。全句載っているのかもしれない(解説入り)。
沢木欣一は朝鮮生まれで、朝鮮の野性的文化と日本の洗練された文化の中で他者との違いに目覚めたのかな。それが新興俳句へ興味を示したのだが弾圧されて社会性俳句を詠むようになった。ただ妻の細見綾子はまったく違って日本の繊細な自然観を詠む人だったので、その影響関係はあるだろう。彼は観念的で妻は感覚的であると自己分析している。俳句に真剣に取り組むには毒を食らうかもしれないということだ。それで人生を棒に振るとか。そのぐらいの意識がないと出来ないという。
「しぐる ゝや」は今の社会性か。「掠むる鳥つぶて」は彼自身のあり方を詠んでいるのかもしれない。
俳句いまむかし
坪内稔典『俳句いまむかし ふたたび』から。
冬・新年
リフレイン。最初の大根と後の大根は違っている。その変化する気持ちを句にした。イメチェンというやつか。でもこれは他者によってイメチェンさせられるのだから、嫌なんじゃないのか?坪内稔典は逆に気持ちいいもんだという。ほのぼのあたたかい気持ちの句だそうだ。明るい食卓という感じか?
虚子の俳句の上手さは感じるよ。でも、それで?だよな。月日が流るのが早いと意味も含んでいるのか?
クリスマスツリーから門松に変化する街を詠んだのだがいまいちだな。
こっちの方がいいか?虚子の本歌取り。
これは上手い句だった。人生の移り変わりを葱一本で詠んでいる。こういうのが俳句だと思う。
わからん。葱農家かなのか?葱を見て詠んだ句らしい。
夢の中で門松作りをしている大邸宅にいると思ったら夢だったという句。作りだと植木屋さんみたいになってしまうか?「門松飾り」だな。
今年は海鼠喰うかな。海鼠俳句を作るのが目標。もう歯がイカれているから食べられなくなる。
けっこう漱石だとリアルな俳句に感じてしまう。そう思ったんだろうな。『道草』で「寒天のようにぷりぷりしていた」と書いているという。実際に長女出産の時の感想らしい。
ちょっと恐怖俳句。「桂男」と「ねずみ男」はテーマ俳句として読み続けようかな。「桂男」は雅な世界で「ねずみ男」は俗な世界。
くちがデカいということかな。鮟鱇にモンローの色気を感じているのではあるまい。モンローを貶めているのか?でも鮟鱇が季語だからそっちだな。
高橋沐石は読めなかった。
妻を疎んずのがかっこいいと思っていた時代の句。
「必殺仕事人」風。
「頓服」って元の意味はなんなんだ。病院で言われたことがあったが何の薬かわからなかった。薬の種類じゃないんだ。薬の服用のことを言うのか。今頃知るお馬鹿さんだな。恥をかかなくて良かった。「頓服」って胃の薬ですか?と言ったら笑われただろう。
そういえば昨日から救急車が多いんだが、そういうこともあるのかな。近くに救急病院があるのだった。
これも意味がわからん。鯨の口が大きくて笑ったように見えるとか。鯨を見に多くの人が集まって騒ぐから音楽のようになるという意味だという。いまではそういう情景見ないから想像が出来ないな。浜に打ち上げられた鯨を助ける人とか?
ピースボートではないけど。ピースボートは鯨を守る人たちではなかった。グリーンピースとシー・シェパードがそういう団体らしい。