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シン・短歌レッスン155


1970年代短歌史

『短歌研究 2024.9月号』から吉川宏志「1970年代短歌史「アルカディア」の刊行」。岡井隆時評集『時の狭間』には、70年の終わりに80年代の未来の短歌に向けて辛辣な批評を投げかけた。

「結社の存在を──師弟関係の存続を疑わない人々。何々賞受賞などということをことごろしく言う人々。戦後えお生きてきた人間にとって、痴呆的に明るい歌壇の昨今である。わたしは、もっと不安に、顔をひきつらせて、必死に、この詩形の存否を──つまり、日本文化の根幹とやらの危うさを、問いかえすような作家の出現を期待したいのである。今はそれがなさすぎるのだ」

(1978年7月)

『アルカディア』はギリシア神話の理想郷のことで岡井隆の批評を受けて高水準の作品(志が高いという感じか)を提示したという。メンバーは小池光、滝耕作、藤森益弘、松平修文でいずれも三十代の若手が編集員だった。

山陰にあかき鳥とぶ少年と少女ふとんをつなげてねむり 松平修文

『水村』

村の民話のような神話的な雰囲気の中にエロティシズムが潜む。松平は日本画家でもあり、そのイメージがよく出ているという。

福島泰樹は全共闘世代の政治的な傷を負ってない、その文体の明るく大らかなのが時代の変化を感じている。つまり岡井隆のような批評は受け付けないのだ。

海上に髪洗いおればひたすらにかなた滑走の雲たちのあり 滝耕作

『海洋』

一冊の歌集で7割が海の歌だという。滑走(ちりぢりに逃げること)する雲が印象的な句なのだが、この歌集のテーマは環境汚染であり、国家論的政治状況から環境論としての日本を守ろうという歌なのだ。そこに日本の歌の伝統を見出す姿があり、前世代の前衛短歌とは一線を画す。

すでにして詩歌黄昏 くわうこんくれなゐのかりがねぞわがこころをわたる 塚本邦雄

『青き菊の主題』

歌はただ此の世の外の五位の声端的に今結語を言へば 岡井隆

『鵞卵亭』

塚本邦雄も岡井隆も短歌の方法論を歌った歌だが『アルカディア』の面々は、そういう方法論に立ち止まった歌は詠まないと宣言する。それは短歌形式を問うことはなく伝統短歌の方法論で行くということだ。そして、そのことに対して論争も起きなかった。前衛短歌の批評性はもはや必要とはされずに鎮魂と短歌の技術論による評価と当たり前の日常を日記代わりに読むというような現代に通じていく。そこで問われたのは家族ということで、女性歌人が活躍するのもこの頃からである。

隣家なる「家族の事情」のもの音をアルミ・サッシュの窓閉ぢて絶つ 小池光

『日曜に』

男性歌人は国家の存在が薄くなって、文学運動も消滅し、消費文化の中で女性歌人たちが高々と家族を歌うのだった。小池は日の丸とお子様ランチを並列して歌うことで国家と家族の共犯関係を歌っていく。それが80年代的な明るさと不安を持って迎えられるのだ。

作品季評

栗木京子(コーディネーター)、田村元、錦見映理子。

栗木京子以外ほとんど知らなかった。

二人とも若いが田村元は平成元年だった。それで元?前の論評の続きで季評を詠んでいくと、確かに家族中心の歌が多い気がする。

島田幸典『島の街』は神戸六甲アイランドの埋め立て地の新興住宅地。人工の島というハイソな感じがする歌。

海上に聞きし街に住まふ人二万大小の犬も移り来 島田幸典

『島の街』

高層マンション玄関に見ゆるショルティに繋がり紐の端をもつ人 島田幸典

「ショルティ」は「ショットランド・シープ・ドッグ」だと。ついて行けない。ハイソな生活をしている人の歌なんだが、こういう歌が需要があるのか?とても作れないけど。

今野寿美『定石』
文学方法論的な歌から社会詠でわりと好感が持てる。題詠だったようで辰年生まれの人というのがテーマの歌。

母は寅わたしは辰のああ皐月 昌子が寅と知れば肯く 今野寿美

『定石』

今年辰年か?もう年賀状出さないからわからなくなっている。元号もわからないし。

じわじわと再び毒を盛られると知ってたらうにナワリヌイ氏は 今野寿美
毒盛るは戦国の世に非力なる女の定石なりけるものを

下の歌は古代中国の戦国時代で女たちが毒殺をしたことを定石と言っているのだ。二連一組の歌。辰年から始まってナワリヌイ氏から宮沢賢治、松本清張、そしてピーター&マリーと展開していくらし。

撃たれた………とジョン・レノン逝き love me alone.放っといて とダイアナさん果つ 今野寿美

正月のゲームのような歌なのかな。ジョン・レノンも辰年だそうだ(どうでもいいけど、何故ならイギリスに干支があるはずもない)かなりのテクニシャンのようだ。

黒木三千代歌集『草の譜』。黒木三千代は岡井隆の弟子だそうだ。家族の死や師の追悼歌や社会詠とバラエティに富んでいるがこの人は社会詠を詠むのが得意みたい。

ストーカーのやうなロシアの遣り口の いやだつて言ふのに、放してほしいのに 黒木三千代

『草の譜』

侵攻はレイプに似つつ八月の涸谷 わじ超えてきし砂にまみるる 黒木三千代

『クゥエート』

けっこう歌人から人気がある人のようだ。

ユキノシタのうぶ毛指の腹に撫でながらこどものわたしゆまりせしかな 黒木三千代

『草の譜

「ゆまり」はおしっこだという。古語だとわからんな。おしっこの俳句は子規も進めていたけど短歌では珍しいのかもしれない。対抗して「おしっこ」の歌を作った。

草むらの解体跡に花を摘む重機の陰ビニ本濡れて やどかり

淫靡すぎるか?


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