詩歌のモダニズム
『 ねむらない樹 vol.9 特集=詩歌のモダニズム』
この号の特集は「モダニズム」ということだ。実はモダニズムはけっこう苦手かもしれない。精神主義に繋がっていくようで。でもベンヤミンが「モダニズム」ならそっちのほうから攻めていきたいという気持ちである。T.S.エリオットの方からではなく。モダニズムは現代的という意味だが都市と結びつく。
モダニズム短歌
モダニズム短歌として、誰もが上げるのが前川佐美雄『植物祭』だった。
その前川佐美雄のモダニズム短歌に影響を与えたのが五島茂(石榑茂)で彼はマルクス主義のプロレタリア短歌とも関係したが後に離れているようである。石榑茂は斎藤茂吉との短歌論争があり、それが新進気鋭の歌人たちに影響を与えたという。五島茂になるのは五島美代子と結婚するからなのだが、五島姓を名乗っていることに何か意味があるような気がする。一番気になるのが斎藤茂吉との論争である。
石榑茂は、「短歌革命の進展」で「短歌の社会性という視点に立ってアララギ派や古典主義短歌の批判を試みた」これが斎藤茂吉との論争を引き起こしたが、社会性の導入とモダニズムに通じる短歌芸術の革新を目指すということで石榑茂と前川佐美雄は共闘したのである。
しかしプロレタリア短歌との見解の相違から前川佐美雄は『短歌革命』を脱会し、石榑茂も自己の方法論の失敗から短歌活動から離れる。その後に出版されたのが『植物祭』で大正モダニズム短歌として注目を浴びた。
そのモダニズムはすでにその前の歌集『心の花』に現れていた。
『心の花』から『植物祭』への変更短歌。
二句とも定形に修正したのだ。
また『植物祭』には改訂版に削除された五首があり、塚本邦雄がその五首について、これが収められていたら当時では特高の追求を受けただろうと感激しているのだ。
ただこれはアイロニー短歌として削除したという。
そして釈迢空の接近がありそのことが雑誌『日本歌人』の改訂となっている(それは反動と見られた)。その同人に斎藤史もいた。
前川佐美雄の家風は斉藤史から中山智恵子に受け継がれて行ったのだと思う。そして、塚本邦雄も。
斉藤史の短歌は後のポップソング的な表現がある。それは斎藤史が当時のモダニズムを消化していた証でもある。
ちなみに当時のモダニズム短歌では「白」がよく使われていたという。白紙の状態みたいなことかな。一新する新しさというような。このへんのモダニズム短歌と穂村弘のニューウェーブ短歌もリンクしてくるような。
前川佐美雄『植物祭』、斉藤史『魚歌』、それにもう一冊モダニズム短歌を上げるとすれば石川信夫『シネマ』か?これは参考にしなければ。
「ミツキイ猿」は「ミッキーマウス」だそうだがその飛躍がよくわからん。映画短歌というより映画の雰囲気を短歌にした作品か?
モダニズム詩
最近注目される左川ちかの翻訳詩は、西欧の詩の音韻は日本語に訳すのが不可能であるとして韻文ではなく散文で訳した。それは音韻を捨てたがイメージとして詩の持つ象徴性を獲得した新しい散文を生み出していく。明治の詩の運動の継承者としての佐川ちかの位置はけっして小さいものではない。その特徴をモダニズム詩として、ヨーロッパのモダニズム詩人たちを散文詩として継承させたのであった。
例えばジョイスの『室楽』
しかしその一方でモダニズム詩人たちの浅い理解によって外面は西欧的な粧いながら中味はまったく日本的なものから抜け出ていなく、その貧困さが戦時下になると外装だけを変えて戦争詩になった戦後派詩人(吉本隆明や荒地派詩人)からの批判がある。
日本のモダニズム詩をもう一度見直して可能性と共に問題点をあぶり出す。
北川透は春山行夫「詩と詩論」のなかで萩原朔太郎の叙情性や感傷性やリズムを批判したが萩原朔太郎は『詩の原理』で論理的に詩の音楽的観念を唯一の契機としている。
春山行夫「詩と詩論」は、詩の技術の進化形態を推し進めていくモダニズム詩論だが、「内部生命論」(内面から湧き上がってくる感情か?)を欠いた詩論と言わざる得ない。
小特集 左川ちか
1930年代にジョイスらのモダニズム文学を翻訳し、二十歳そこそこでモダニズム詩を書いたが24歳で夭折。その詩は死の影に脅かされた世界の断片化のようでヴァージニア・ウルフが近いのかもしれない。例えば与謝野晶子が女性の身体性からセックスや母性を描くとしたら、佐川ちかはそういう身体性の喪失した状態から都市の中を彷徨うイメージとしての言葉の中に自然を見出していくような。
「いま山中智恵子を読むということ」
なんとなく葛原妙子より山中智恵子の方が好きなような気がする。それは釋迢空が好きだからかな。
水原紫苑×川野里子×大森静佳の鼎談は面白すぎる。水原紫苑と川野里子は、葛原妙子を巡っての往復書簡でも対立していたが、川野里子はわりと理論的で水原紫苑の方は憑依的なのかなと思う。その分でいくと山中智恵子を短歌そのものとして読んでいる気がするが批評としては川野里子の読みの方が理解できるかな。大森静佳は二人の先輩の前に戸惑っている感じだが、水原紫苑から意見を求められるので、水原さんにつこうか?川野さんにつこうか?右往左往している感じだった。あまり内容は入ってこないのだが。短歌を見ていこう。
「渡れる鳥」中山智恵子の短歌は、鳥に運ばれていくようなイメージだそうだ。水原はこの歌にエクスタシーを感じるという。相聞の究極のようだという。
逆に川野は「鎮石(しづと)のごとく」に理性を感じるという。醒めている感じはする。
「この冥き遊星に」でこのが入るから字余りになる。このが入ることで人としての着地点がある。これけっこう好きだが、川野里子は好きじゃないという。「この」のあるなしか?
「青空の井戸」もどこかへ運ばれていく歌か?井戸だから想念だけなんだよな。これは今いる我々の状況のことか?主語がない歌と我々という歌と我の歌があるという。巫女的な歌で川野は百襲姫を連想するという。塚本邦雄は『みずかありなむ』は「現実に縛られた雌のペガサス」と言っている。上手いキャッチコピーだ。
「いずくより」は二人の解釈が分かれる。「運河ゆき」を川野は近代とするのだが、水原は「ゆき」が掛詞であるから最初の雪は作者だが後はふたり(われら)が同時に入ってくる情景と読む。恋歌という解釈なのか?
「水甕の空」を芭蕉の句のようだという大森静佳。川野は『紡錘』は難解歌が多いとするが水原はそう思わないという。非論理的な歌が多いのは掛詞とかのせいかも。
『みずからありなむ』は文体のねじれ方が凄いと大森がいう。「いとしみのことばは」は「ありし」で「ありき」ではない。「この額」は他者か自分かで意味が分かれる。川野は他者だという。水原は自分の額に神が舞い降りた感じ(憑依)。
『みずかありなむ』は難解歌が多いが『虚空日月』は流暢になっていく。『みずかありなむ』は古代で『虚空日月』は王朝になっていく。歌としてはまとまりがあるが溢れるものがないという。
「三輪山」神話は古代の神で土着の人々と情念において重ねた巫女であり「王権側についた」という。それは天皇を信じる日本人のあり方として天皇制を受け入れることだった。しかし、そうした制度は敗戦によって滅びたのが折口の短歌論だが、茂吉・折口の死後に歌を蘇らせる巫女的手法を持った歌人だった。
大森静佳は後期の音律の魅力というような山中智恵子の歌が多い。それは巫女から両性具有になっていく可能性の歌なのか?ヴァージニア・ウルフに近づく?