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シン・現代詩レッスン67

鮎川信夫「アメリカ」

この詩は文学の引用をカットバックして組み立てた詩であり、それまでの抒情詩(四季派)の日本の抒情詩に比べて非常に衝撃的だったと吉本隆明が述べている。

ただそれが誰の引用だかわからない。最初の引用はトーマス・マン『魔の山』からとするのだが、それは年号から推測したのかな?

アメリカ

それは一九四二年の秋であった
「御機嫌よう!
僕らはもう会うこともないだろう
生きているにしても 倒れているにしても
僕らの行手は暗いのだ」
そして銃を狙ったお互いの姿を嘲りながら
ひとりずつ夜の街から消えていった

鮎川信夫「アメリカ」

引用の部分が「」で区別されているがそれが地の文の中に融合してしまう。まさにそれが日本という国の特性なのかもしれない。「アメリカ」という国に戦争で負けると一気に「アメリカの民主主義」を受け入れる。昨日までお互いに敵国として銃を向け殺し合っていたのに。

トーマス・マンの引用は見事に消化されていて、それは相手のアメリカ人が言ったのかもしれず、あるいは語り手が言ったのかもしれず、そういう境界が曖昧になる。

一九四二年の冬であった

そして銃を狙ったお互いの姿を嘲りながら
ひとりずつ夜の街から消えていった


と鮎川信夫が詩を書いた。僕達はどうそれを受け取ればいいのだろう。
すでに敵は外の世界へ去っていった。それは本当だろうか?
TVの中の戦争は続いている。戦争アニメだって好きだ。
ネットでは戦争待望論もある。中国は生意気だ。
そして、日本の総理大臣が戦争オタクとなったのだ。

そして2024年の冬を迎えようとしていた

やどかりの詩

「僕たちは都市をつらぬく濁った河にそって
ながいこと散歩したね
艀船 はしけぶね がじっと水のうえで考えごとししていったけ
覚えているかしら?
涙ぐんで ときには涙ぐみもしないで
黒い犬が橋の上にうずくかっていたのを」
そうだ 君がこの街から消えうせても
僕ははっきり覚えている
Mよ 都会の胃袋をさまよいながら君が呟いていたこと
 を………

鮎川信夫「アメリカ」

次の引用(「」)は文脈からするとM=森川義信だと思うがわからなかった。ただこの情景は「橋上の人」でも「繋船けいせん ホテルの朝の歌」でも情景が重なる。


「都会の胃袋」というモダン都市をさまよう文学青年たちはコトバを求めていた。

未来都市の向こうの観覧車は光り輝き
濡れた恋人たちを運んでいく曇天
雨風を凌ぐビルは
ゾンビ・タウン
疲労した足を引きずりながら
動く歩道を歩こうとすると
ゾンビの恋人が道を塞ぐ
泥の川は海にそそぎ
無数の 水母 くらげ が窒息しそうに群れていく
しかし、夜になればライトが灯され
闇は消されていく
僕たちは都会の胃袋をさまよいながら
君に夢のコトバを呟いていた

やどかりの詩

「シン・現代詩レッスン56」から流用。自分の詩なんでリライトということで。黒字は鮎川信夫の引用

死んだ男のために
一九四七年の一情景を描き出そう
僕は毎晩のように酒場のテーブルを挟んで
賢い三人の友に会うのである
手をあげると 人形のように歩き出し
手を下すと 人形のように動かなくなる
彼等が剥製の人間であるかどうか
それを垂直に判断するには
Mよ 僕たちに君の高さが必要なのだろうか?

鮎川信夫「アメリカ」

「死んだ男」は「アメリカ」の前に書かれた鮎川信夫の詩の傑作として知られている。さらに昨日の田村隆一「九月 腐刻画」とも重なる。「荒地屋」と呼ばれた店は「荒地」のことなのかもしれない。

1989年の「天皇崩御」「ベルリンの壁崩壊」「天安門事件」
時代は大きく変わっていた
しかしぼくらは潰れたジャズ喫茶の下の
カラオケスナックで中森明菜やテレサ・テンを聞いていた
アル中になったYはいつも酔いつぶれていた
彼は絶望していたのだ
慰謝料の金で飲み、それ以上の借金を重ねていたYだった
こうしてバブル時代は過ぎていく
Aよ 僕らは君の叫びを忘れていたのだろうか?
僕たちに君の高さが必要なのだろうか?

やどかりの詩

再び「シン・現代詩レッスン66」のリライト。

鮎川信夫「アメリカ」はこの後、「アメリカ文化」に染まっていく僕等と彼の内面Mの間で引き裂かれるのだが、それが「荒地」派の分裂でもあるという吉本隆明の「荒地」論だった。そして時代は田村隆一や北村太郎の方へ流れていくのだろうか?北村太郎と田村隆一の元妻のドラマは面白かったが。


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