過激さはポルノというより思想性か?
『㊙色情めす市場』(1974年/日本)監督:田中登 出演:芹明香、花柳幻舟、宮下順子、絵沢萠子、萩原朔美、夢村四郎
日活ロマンポルノだが、モノクロ映像主体で全体的に性的描写のドギツさはない。むしろ滑稽な姿で描かれている。あいりん地区(釜ヶ崎)で撮影された(隠し撮りだそうだ)映像が斬新というか戦後間もない日本の姿である感じを受けたのだが、それはどこか懐かしさがある(70年代なのか?)。
ヒロインのトメのセリフ「うちな、なんや、逆らいたいんや…」は、当時の反体制的運動と連帯するように、過激派の指名手配犯の写真を映し出す。その中の一人に似ている男が身を隠すためにあいりん地区にやってきたという設定なのか?彼の視線はあいりん地区で娼婦のもとに生まれ、自らも娼婦とならざる得ないトメと同調していくのか。
逆なんだ、トメがそんな過激派と同調していくのだ。彼女の世界からは足抜け出来ない構造がそこにあるのだった。それは弟が知的障害者であるという現代にも通じる構造、弟の面倒を見るヤングケアラーでもあったのだ。そして娘と売春で張り合う母のおぞましい姿。それは若い時は女の身体は稼げるが年齢と共に減価償却していく姿を映し出している。さらに最悪なのは妊娠してしまうこと。人間本来の営みが生存のためにあるのではなく、欲望のはけ口として最底辺の女たちに覆いかぶさってくる。
このへんのことは、上野千鶴子・鈴木涼美『往復書簡 限界を生きる』に詳しい。マルクスの資本論の売春婦的解釈というべきか?花柳幻舟は天皇制に反対して騒動を起こしたけど、そういう日本における家元制度の弊害を身を持って感じていたから、この映画に出演していたのだと思う。
母親の死(流産して病院行き)と弟の自死(自殺とは言えないと思う)によって自分だけのために生きることができるトメが最後にその過激派と逃亡するところで終わるのだが、そこがカラー化されて、眩しい太陽の映像と重なっていく、そのラスト瞬間が素晴らしく美しい。