正岡子規の短歌改革案
『歌よみに与ふる書 』正岡子規(Kindle版)
明治時代の俳人・歌人・国語学研究家である正岡子規が、1898(明治31)年から10回にわたって「日本」に発表した歌論。この書の中で万葉集に極めて高い評価を与え、万葉への回帰と写生による短歌を提唱した。同時に、平安中期に成立して以後は和歌の規範とされていた古今集を「くだらぬ集にて有之候」と否定し、古今集選者で三十六歌仙にも名を連ねる紀貫之を「下手な歌よみにて」と酷評している。
今読むとけっこう暴論じみた発言は多いけど、要は和歌の伝統にあぐらをかいて、王朝文化の流れの和歌しか駄目だというような(皇室和歌的な)権威をありがたがるような風潮を変えていこうというものだった。
その中に漢詩やら外国文学の詩にも和歌よりも良いものがある。それをしないと日本の文学が衰退していく。ただ正岡子規は文明開化の人だからやたらと腕力的な言葉が好きなんでそれで頼朝の『金槐和歌集』を持ち上げたりしているのだろう。『古今集』は装飾的な言葉も多く私情が入って説明的だというのだ。推量や詠嘆の文末は言い切りじゃなく弱々しく感じているのだった。
雅というものはそういうもんだけど、正岡子規はもっと論理性を求めていたりする。それで写生というものは、あるがままを述べているとする。それを古語でしち面倒な知識を動員して、分かる人だけに分かるというのは万人の文学ではないとする。
改革者としての正岡子規だから、例えば和歌よりも俳句を下に見る「歌詠み」が許せない。俳句の潔さを和歌にも求める。『歌よみに与ふる書』が十回に渡って書かれたことは、そのぐらいの期間論争も反論もあり、文学議論が続いたということだ。今はそのような文学議論が少ない。文学とは何かと問わない。(2021/12/28)
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