絶叫するばかりが歌ではない
ビリー・ホリデイ『奇妙な果実』1939年4月20日、44年3月25日、4月1日、8日、ニューヨークにて録音
当時はまだジャズ・ボーカルが楽団の一員として、例えばテディ・ウィルソン楽団の中で一ボーカリストとして、ビリー・ホリデイが存在していたにすぎない。今のように歌手がメインじゃなかったのです。しかも、ビリー・ホリデイはこの歌を白人のクラブで歌ったのです。けっして大声を張り上げるのでもなく、コントロールしながら歌詞を聞かせるようにして。その後録音することになりましたが、大手のコロンビアは拒否した。まだそういう状況ではなかったのです(公民権運動の前でまだ黒人は奴隷状態でした)。それで弱小レーベルのコモドア・レコードに録音した経緯があるのです。だから記念碑的なこのレコードの歴史が作られるようになったのは、ビリー・ホリデイの強い意志があったと言わざる得ないのです。このアルバムでは、あまりにもこの曲が有名すぎて他の曲とはちょっと違和感があるのはそういうことです。
バンドの中のビリー・ホリデイは声量を張って絶叫する歌手ではなかった。あくまでもバンドの中でホーン・プレイヤーと共にスイングをするコントロールするボーカルを持った歌手だったのです。もの足りないとするならば、そういう経緯があるのです。ビリーのコントロールされたスイング感は独特でよく器楽楽器に喩えられるのは自由に旋律を歌うことができたからです。晩年はスローな曲をとつとつと語り聞かせるスタイルのビリー・ホリデイですが、若い全盛期は見事に楽団の中でスイングしてみせるのです。
(ジャズ再入門vol.30)