中世物語の完成型は開かれた物語
『源氏物語 01 桐壺』(翻訳)与謝野晶子( Kindle版)
今年の読書目標が『源氏物語』を読むということなので与謝野晶子訳『源氏物語』を上げていこうと思います。
角田光代訳『源氏物語』を上中下と三巻所有しているですが、角田訳は分厚ので携帯するには不便。それで電子書籍の与謝野晶子訳を並行して読んでいます。これがなかなか良いのは巻ごとに分かれているから長編というより短編連作集として読めること、短編だから読書の進み具合も早いように感じる。
『源氏物語』も本来はそのように読んでいたと思われる。そこからいろいろ枝葉的に広がって、コミケ的に集めたのが『源氏物語』ではないかと。一度にいまある形ではなく巻ごとにわくわくして。紫式部はその最初作家の中心人物であったけれど全てを一人で書いたとは思えない。勝手な想像というか、多作家論の方が可能性の文学として読めるのではないか。現にこれほど今の時代に翻訳されているのだから。
「桐壺」のオープニンはその点でも見事な創造力を掻き立てる一章だと思う。それこそ宮廷ファンタジーの始まりにふさわしく、「貴種流離譚」の王道をいくような展開。桐壺(光源氏の母親)が帝の宮中に入ったが亡骸となって戻ってきた。桐壺の母親の和歌が帝に対する精一杯の抵抗のようで胸を打たれる。
源氏物語の和歌は登場人物の感情表現を和歌として、当時は自由に口を聞けなかった上にものにも物申せる女官文学の形式として歌物語を決定づけた物語文学とされています。その先行物語に『伊勢物語』があって、影響された物語に『とりかへばや物語』がある。開かれた文学ということです。
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