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シン・俳句レッスン183


文芸選評

俳句 兼題「湯豆腐」
毎週土曜日にお送りしている『文芸選評』。今回は俳句で、兼題は「湯豆腐」。選者は俳人・堀田季何さん。司会は石井かおるアナウンサーです。

文芸選評は久しぶりということだがTVの方で活躍中なのでファンも多い。男性よりも女性ファンが多いのかもしれない。湯豆腐は久保田万太郎の名句があるので難し。なんとなく似た句に寄り添ってしまう。

湯豆腐やいのちのはてのうすあかり 久保田万太郎

湯豆腐や冷めずくづさず喜怒を食む 宿仮

「参照性」について 安里琉太

『現代詩手帖2023年12月号』に俳句の評論が掲載されていたので読んでみた。「参照性」というのは「本歌取り」みたいなものでそれは俳句特有のものでもなく、文学テキストとして「間テクスト性」と言われているものなのだが、生駒大祐は俳句に特有のものがあり、石牟礼道子の俳句は詩であって俳句ではないと言うのだがよくわからない。

参照性は大いに利用しているが、そもそもオリジナルなものは誰かの模倣であり、テクストの関連で表現していくというのは俳句に限ったことではなく、短歌でも詩でも小説でもありうるのだと思う。むしろそうした方法でやっているのだが、参照性だけならAIに任せとけと思うのだ。参照性とは別に現在性というものが二物衝動を生んでいく。そのなかで座というものがあるのならただのゲームにしか過ぎないのではないのか。まあ俳句も段々嫌になってくるのは、こういう保守性なのだが。もう俳句でなくても表現なら、それが川柳と言われようが詩と言われようがなんでもいいと思うのだが、そうなると孤独に堪えるしかないのかとも思う。

そうだ先日ジェミニで「マッチング飛梅ゴースト青い鳥」を批評してと言ったら「飛梅」が季語ではないとほざく。飛梅伝説があるだろうというと藤原道真の太宰府伝説じゃなく、別の男女の飛梅伝説を出して来たのだ。確かにそれは物語としてはあるが、「飛梅」という梅も現実には存在しているので十分季語の役目を果たすだろうと思った。またマッチングもゴーストも俳句的な言葉じゃないからとダメ出しをする。お前、芭蕉の不易流行ということを知らないのかと思ったが、句会提出用なので、マッチングを縁結び、ゴーストを幻想としたのだが、三番目に飛梅と青い鳥が合わないとか。飛梅は温かなイメージだが、青い鳥は冷たいというのだ。もうだから元の目白にもどしたて、「縁結び飛梅幻想目白かな」というなんとも意味不明な句になった。AIは俳句の知識の集積を持っているのだが、AIに従っていたらいつまでも新しい俳句は出来ないのではと思った。

芭蕉の風景

小澤實がその「参照性」の俳人といわれるのだけど、その対象はむろん芭蕉だった。でもかれは実際にその詠まれた場所に行っているので、「参照性」だけではないよな。私はもろ「参照性」というか「間テクスト性」をやっているのかもしれない。ただ言わせてもらえば歌枕というのは、昔からそこに行かないでイメージだけで歌を詠むものだった。芭蕉はそれに反したことをやって、それを継承したのが小澤實で、再び歌枕的俳諧を目指しているのが私かもしれない。それじゃ始めようか。

早苗とる手もとや昔のしのぶ摺 芭蕉

『おくのほそ道』

白河の関を超えて陸奥の入ったところにある「文知摺石」伝説を元に源融のが残した和歌の歌枕を尋ねた俳句である。

源融の「忍ぶ恋」の歌が伝説となったということだった。源融は『源氏物語』の光源氏のモデルになったとされるほどのプレイボーイ。その彼が虎女に宛てた恋歌だという。「虎女」というのはどんな女なのか興味深い。想像するにその「文知摺石」の縞模様から虎女がイメージされたのではないか。そしてその摺石に虎女のラブレターを読み取ったのが源融なのである。

芭蕉の発句は、その「文知摺石」は土に埋もれていたのである。文字はわかるわけもなく、イメージとして虎女を早乙女と呼び替えたのだった。芭蕉の最初の句は

早乙女にしか望んしのぶ摺 芭蕉

『俳諧書留』

その石を訪ねて近くにいた早乙女に尋ねたという句だった。『おくのほそ道』では忍摺(文知摺石)を昔を偲ぶという意味に仕立てたのである。それはイメージとして虎女を早乙女に変えたのだ。

早乙女や虎女恋してしのぶ摺 宿仮

なんのひねりもなくそのままのイメージ句だな。小澤實は虎女のイメージにしだれざくらを重ねている。

虎女の墓しだれざくらの花まばら 實

おい も太刀も 五月 さつきにかざれ紙幟 芭蕉

五月の節句で、昔は鯉のぼりがただの紙幟だったという。それで義経の旧跡を尋ねた芭蕉が笈=修験僧の衣装(義経が身を隠すためのカモフラージュ)を着て太刀も持っていたのだろうとイメージして、それを飾れと言っているのだが五月人形がそういう風習になっていた。芭蕉のイメージ句は未来の句だった。

五月人形未来予想図鯉幟 宿仮

漢字で表記だが意味は至って簡単なイメージ句だった。随行日記には義経を警備した兄弟兄佐藤庄司(弟基治)の菩提寺であり、能「屋島」での歌に導かれたとか。

芭蕉の句は弁慶の紙幟も飾れという意味だという。

桜より松は二木を三月超 芭蕉

『おくのほそ道』

武隈の松という景勝地を読んだ句で二木と三月と言葉遊びの句だった。桜は四月か?これは武隈の松へ招いてくれた友(弟子)への挨拶句ということだった。芭蕉の洒脱さが伝わる句で、弟子の挙白の句を受けて読まれているという。

武隈の松見せ申せ遅桜 挙白

ただ芭蕉はそこに古歌も忍ばせているのだという。

武隈の松はふた木を都人いかがと問はばみきのこたへむ 橘季通

『後拾遺和歌集』

この歌に「みき」は三という掛詞があるというのだ。都会人は武隈の松のみきしかみてないという揶揄なのか?

武隈の松よりふたり友を呼ぶ 宿仮

松は待つの掛詞であると。その松も七代目で枯れそうになると代わりの松と植え替えるのだという。芭蕉の友情は永遠に言葉として残るが、生身の松は枯れたり虫に食われたりするのだった(なんか現実的な寂しい話だが)。

笠島はいづこさ月のぬかり道 芭蕉

NHK俳句

題「春セーター」
選者:西山睦、ゲスト:三石知左子(小児科医・東京かつしか赤十字母子医療センター院長)。題「春セーター」。命を支える現場の緊張感の中で、俳句の存在とは。

春セーターやせ我慢のダイエット 宿仮

ファッションはやせ我慢とか。まだ寒いのにセーターを着たりダイエットしなければ着れない服を着たり。

「春セーター」は、春らしいイメージを喚起する言葉ではありますが、季語として認識されているわけではありません。

Gemini

「春セーター」は季語ではないとか。もう季語なんてどうでも良くねえ。

黒岩徳将の俳句やろうぜ

関灯之介。俳句甲子園出身。もうそれだけで泊が付くような。最年少俳人とか。

潺潺と清水に浸る鹿の骨 関灯之介

「潺潺と」が難しいし読めない。漢詩からなのか?清水と鹿の骨の取り合わせは面白いかな。季語無し俳句かな?「潺潺」が夏の季語らしい。もろ歳時記から選んだというような。Geminiは適当だな。冬の季語だという。句も冬の厳しさを詠んでいるよな。さ行の音韻。水をテーマにしているとか。何か一つ自分のテーマを持つということ。

<兼題>堀田季何さん「アスパラガス」、岸本尚毅さん「海」
~2月17日(月) 午後1時 締め切り~
<兼題>和田華凜さん「桜・花」、高野ムツオさん「燕(つばめ)」
~3月3日(月) 午後1時 締め切り~

睦月

塚本邦雄『華句麗句―俳句への扉2』から。そうだ。まだ旧暦では睦月なんだ。今日は1月12日だった。この本では大凶ということ。雪は別名六花ということ。新年ということで初の季語が多い。

杜浅く一打して去る斧始 有働木母寺

名前が読めん。住職なのか?結構好きかも。

「凩」は漢字ではなく日本で合成した国字とか。

木枯らしや目刺にのこる海のいろ 芥川竜之介

この句は見事だな。でも実際の写生というよりイメージだよな。

冬を付けることで強調する。冬銀河とか。短歌では煩わしくなるとか。

凍瀧の骨の如きを人が見る 谷野豫志

凍も寒さの強調なのか?そうか二十四節気は「立春」に始まり「大寒」で終わる。今は「立春」だった。

凧も日本発の漢字。

海彦と遊びし凧の彊き反り 鷹羽狩行

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