アウトロー水母が海から攻めてくる
昨日水母の大群が川を遡っていた。温暖化の影響だと言われているが。海の色も青からプランクトンが多い緑に変わりつつあるとか。こんな水母がたくさんいたんじゃ海水浴は出来ないな。「わたしと海」という課題に取り組んだ。
のんが「俳優・アーティスト」という肩書を変えたというので自分も俳人から詩人に肩書を変えたいと思う。歌人でもあるわけだが。作家ということでもいいと思う。こういうのは勝手に名乗ってもいいんだよな。無職じゃなく詩人ですという風に。それで昨日は詩を二作書き上げた。
毎日一作ぐらいは書いて行こう。「消えた鍵」は短歌にもなっているのだ。これをもう少し改作して、旬杯にも上げる。ネット歌会は今日が締め切りだった。『百人一首』本歌取りから三首選ぼう。
読書は『テヘランでロリータを読む』の感想を書いた。それで『ロリータ』を読んだが、アーザル・ナフィーシーの「ロリータ」視線の読みは無理があるような。やっぱハンバート・ハンバート視線がナボコフの書きたかったことなのだろう。どう読んでも幼女性愛の物語だよな。ちょっと思ったのは最初の書き出しは刑務所での手記ということなのだが、グラス『ブリキの太鼓』の書き出しと似ていると思った。文体もなんとなく似ているような。
図書館で一冊返却して、二冊借りる。大江健三郎『憂い顔の童子』と北大路翼『新宿歌舞伎町俳句一家「屍派」 アウトロー俳句』。アウトローは右傾化するのであまり好きではないのだが(それに力の信望者すぎる)北大路翼のYou Tubeが面白かったので借りた。
俳句の知識は凄いよな。そう言えば今日から馬場あき子の映画が公開されるのだった。今日はこれを見に行くかもしれない。
昨日は『遺灰は語る』を観た。映画界三大兄弟のイタリアのタヴィアーニ兄弟の弟が亡くなった兄に捧げた映画だった。その字幕を観ただけで目がうるんできた。タヴィアーニ兄弟は文芸坐で『サン・ロレンツォの夜』を観て以来ファンだった。『遺灰は語る』でも『サン・ロレンツォの夜』らしきシーンが出てくる。
あとで感想を書く。
今日の一句。