空気を読めないセシル・テイラーは日本好き
"The World of Cecil Taylor"(1961/ Candid)
Cecil Taylor - piano
Buell Neidlinger - bass
Denis Charles - drums
Archie Shepp - tenor saxophone (tracks 1 & 5)
"Air" [Take 28] - 8:41
"This Nearly Was Mine" [Take 1] (Oscar Hammerstein II, Richard Rodgers) - 10:51
"Port of Call" [Take 2] Taylor 4:22
"E.B." [Take 2] - 9:59
"Lazy Afternoon" (John Latouche, Jerome Moross) - 14:52
ジャズ界の破壊神セシル・テイラーだが、このアルバムでは何かを構築しようとしていたのである。それが"Air" [Take 28]の数字である。ジャズが伝承と即興と重んじる音楽であるならば、まさにそのこと自体を打ち壊そうとしたかのようである。それも"Air(空気)"の上である。本当に28回も演奏したのだろうか(ウィキペディアでは29回目があったとするのだ。その中のTake 28なのだ。実際にYou TubeではTake9とTake24の演奏が上がっていた。
さらに恐ろしいのは1976年8月20日にライブ録音『AIR ABOVE MOUNTAINS』での1時間以上のソロ・ライヴ演奏(本当はこっちを取り上げたかったぐらいに圧倒的な演奏)。
それで思い出されるのはジョン・コルトレーンが「マイ・フェヴァリット・シングス」を何度となく演奏して、その都度演奏時間が長くなっていく何かを求めたような求道心でした。コルトレーンの場合はGod(神)だと言ってます。セシル・テイラーはもっと人間の欲望、あるいは呼吸するための空気が必要だったのかもしれないです。
その他の演奏は、ほとんど1発録りのようなので安心して聴けます。というか私が聞いていたのはレコードのB面だったので、"Air"にこんな秘密が隠されていたなんて知らなかったのです。あらためて聴き、その事実を初めて知って、その凄さを感じています。
B面は、"Lazy Afternoon"につきますね。この曲をセシル・テイラーで聴いてかったるい午後の夕陽を思い、そしてオリジナル曲を聴いてがっかり。むしろキンクスの「サニー・アフタヌーン」がこのオリジナル曲だと思っていた時期もありました。
ジャズ的なことを言えばこのアルバムがデビューとなったアーチー・シェップ、セロニアス・モンク「ヒムセルフ」でコルトレーンを起用した演奏に似ていると思います。セシル・テイラーが突然出てきたのではなく、セロニアス・モンクやデューク・エリントンから多く学んだようなものがあったようです。それ以外に現代音楽からの影響もあり「現代音楽(contemporary-classical)の素養を持ったアート・テイタム」とも言われています。
このアルバムの想い出としてはえ閉店間際の「響」のママさんが「たまには黴干ししなきゃ」と言ってかけてくれて、大学紛争の頃に学生が警官に追われてシャッターを下ろして、匿ったこともあったそうです。なんかそんな時代を思いながら聴いていました。
そして、日本と関係が深くて、2013年度の京都賞思想・芸術部門(音楽分野)を受賞したりもしました。セシルが日本を気に入っていたようです。セシルの信望者も山下洋輔を始め多いですね。
(ジャズ再入門vol.48)