白石かずこ「バス停」
これもなかなか面白い詩だ。(アラブ)砂漠のバス停を詠んだそうなのだが、ふと日本のバス停のように現れるそれは記憶の場所としての幻想のバス停なのだ。それが蜃気楼のように感じられる。
一字空けの空白は空虚感のような雰囲気か。たどたどしい書き言葉。それがリズムとなっているのかもしれなかった。バスという乗り物は電車よりミステリー感が強いのは、普段乗り慣れていないとどこに連れて行かれるかわからないからだろう。電車は終点が大きな街であるのだが、バスの終点は取り残された村のような気がする。バスの短歌や歌で好きなのものが多いのはそんなところか?
意味という終着駅がないんだろうな。歴史とか、もう摩滅している。スフィンクスの石像が舌を出しているのか?ローマの休日のライオン像じゃないだろうな。日本だったら地蔵さんが舌を出している妖怪村か?
()は朗読の場合どう処理するのか。書き言葉ではここはモノローグだから沈黙の言葉………。三点リーダが好きなのはそれが砂粒のような感じだからか。
「そういって」からはあの頃(自転車に乗っていた頃の想い出か)。ここのセンテンスは内面世界だ。自転車に乗っていた青春時代、あるいは映画のワン・シーン。
悪魔の前にはマリアとか天使の比喩がある。現実と妄想が入り交じる世界なのだが、結局流砂の中に埋もれていく記憶なのだろうか。その点である一粒一粒の砂の幻を確かに文字で刻み込もうとしているかのようだ。