今日は写真で俳句十句だな。晩秋の海。人もまばらな黄昏時。当日作ったのは、
平凡な凡人句だった。ただこれは旅の連句の一場面として、連句としての試みだったのだ。それなりのストーリー性はあると思う。
昭和俳句 新詩精神(エスプリ・ヌーボー)の水脈
俳句表現史に於いて影響を与えたとする俳句。川名大『昭和俳句 新詩精神(エスプリ・ヌーボー)の水脈』から。
素十「夕霰」と茅舎「金剛」は表現の対象として自然の相が選ばれている。
そこから内面へ表現を切り開いたのが高屋窓秋の「頭の中で」でである。
三鬼の「水枕」と楸邨「鰯雲」の句も内面意識だが表現主体である。
白泉「戦争が」と赤黄男「鶏頭」は社会性俳句としての戦争を。
波郷「初蝶」草田男「万緑」は素十、茅舎からの季題の表現を自然から人間の方へ(人間探求派)
さらにそれらに続く高篤三、篠原鳳作、小沢青柚子の感性鋭い俳句が続く。
高篤三は日野草城「ミヤコホテル」の影響を受けて性的な句を詠んでおり、例えばレズビアンや少年愛や少女愛を詠んでいくが抒情に流されていく。
そして、篠原鳳作は連作というテーマ詠で新詩精神を継いでいくが惜しくも早世してしまった。
主題主義による制作は、連作俳句が山口誓子『凍港』の影響から映画的なモンタージュ的手法を取り入れていく。
最後は「ベニスに死す」のシーン。
藤木清子の俳句
川名大『昭和俳句 新詩精神(エスプリ・ヌーボー)の水脈』で取り上げられていた女性俳人がふたりいる。その一人が東鷹子(三橋鷹女)であり、もう一人が藤木清子であった。
昭和12.9月からそれまでの水南女を改め藤木清子で出句。その9月夫である藤木北青氏がなくなり、篠原鳳作も逝去。