シン・俳句レッスン96
今日も雨だった。梅の雨、「卯の花腐し」という季語はあるが「梅の花腐し」という季語はないのか?慈雨というイメージなのか?腐っていきそうな状態なのだが。「慈雨」は夏の季語だった。干ばつの時に降る雨だという。『鬼滅の刃』にも登場したとか。春の雨。
日記の方の今日の一句。
「花の雨」と「夜なべ」が韻を踏んで、父の鍋洗となるのだった。けっこう傑作だと思う。
現代俳句の海図「長谷川櫂」
小川軽舟『現代俳句の海図 昭和三十年世代俳人たちの行方』から「長谷川櫂」。長谷川櫂はけっこう若い人からおちょくられているような気がする。体育会系みたいだからかな。「俳筋力」とか言いそう。あれは別の人だった。
長谷川櫂が目指すのは正当性の回復だという。
そのことが逆に長谷川櫂は異端性だと主張するのだ。
こういう句が好きになれるかがポイントだろうか?小林恭二は「禅問答」は俳句ではないと手厳しい。禅問答でもいいんだけど諧謔性が欲しいと思ってしまう。聖なることばかりだとあっちの方(精神論)に利用されかねないから。
得てして長谷川櫂が「生活俳句」と言いながら、聖なる俳句を求めすぎなような気がする。鍋洗いをしたことがあるのか!と問いたい。
『天の川銀河発電所』(相沢文子)
「ホトトギス」の編集部に入社というのだから伝統俳句の人かな。
この線でいいと思うが、これだと台所俳句と言われてしまう。まあ、それでもいいんだけど聖性が欲しいと思ってしまうのだ。
ちょっと長い。
神棚ぐらいだと聖性が出てくるのだが。
自分の俳句が見えてきた。俗っぽさ(生活俳句)と聖性(アニミズム)なのかもしれいない。
今日はこんなところ。