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『セロニアス・ヒムセルフ』

1957年4月5日、16日N.Y.リバーサイド・レコードからリリースされたスタジオ・アルバム。セロニアス・モンク(p)。ジョン・コルトレーン(ts)、ウィルバー・ウェアー(b)は「モンクスムード」のみ。あとはセロニアス・モンクのソロ・ピアノ。

昨日、満月で夜道を散歩しながら無性にセロニアス・モンクが聴きたくなった。セロニアス・モンクほど月が似合うジャズ・ミュージシャンもいないのではなかろうか。ちょいと千鳥足のほろ酔い気分で「ラウンド・ミッドナイト」を聴くのは最高である。イタリアの月を主題にした著作で有名なイタロ・カルヴィーノも『柔らかい月』の最後でセロニアス・モンクを登場させたのである(音楽だけかな、おぼろげな、まあ月の話なんで)。

で、その「ラウンド・ミッドナイト」はセロニアス・モンクもお気に入りの曲だったらしく何度も再演してはアルバムに収録されている。それぞれ良さはあるだろうけど、やはり留めは『セロニアス・ヒムセルフ』に収録されている「ラウンド・ミッドナイト」ではなかろうか。このアルバムは、セロニアス・モンクの内省(だから過去のオリジナル曲が冴え響く)的な実質ソロ・ピアノ集で、最後の「モンクスムード」の後半にコルトレーンのテナー・サックスが静かに出てくるのである。そこがまたゾクゾクするところでもある。

セロニアス・モンクのピアノは唯一絶対の存在感を示し、その不協和音と間が絶妙に肝なのだ。そう肝(飽きが来ない)のジャズ・ピアニスト。好き嫌いが分かれるが、セロニアス・モンクを尊敬するジャズ・ミュージシャンは多い。

それぞれがモンクを語ることで自身のジャズを語ってしまうことは不協和音(俺のモンク解釈が正しいのだ)となって問題化するわけで、喩えて言うならばドストエフスキーがゴーゴリの『外套』から文学が始まったに倣って、モンクの「ラウンド・ミッドナイト」からモダン・ジャズは始まったと言ってもいいぐらい。そのぐらいこの曲を着こなす(弾きこなす)にはセンスが必要だ。

村上春樹偏・訳(モンクについて書かれたエッセイをまとめた)『セロニアス・モンクのいた風景』は、モンクの専門的な演奏論のエッセイも多いがいろいろモンクの素顔を垣間見られて面白い。バド・パウエルがモンクを警官から庇った逸話とか。スティーブ・レイシーのエッセイが心温まる。レイシーとは、あまり録音が残っていなくて残念だ。本当にモンクを尊敬していたのだなとわかる(レイシーはソプラノサックのソロ・アルバムをモンクのに捧げている)。あとニカ夫人(パノニカ男爵)のパトロンで猫がたくさんいる部屋でピアノの下で寝ていたとか。ニカ夫人の曲も有名だ。この時代の人は面白い。

満月や白と黒の間セロニアス

(ジャズ再入門No.7)

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