シン・短歌レッス78
和泉式部の和歌
この歌はあまり評価されないのは本歌とほとんど一緒だからだろうか?
「田子」は「農夫」の意味。「こひぢ」は「恋路」と「泥(ひぢ)の掛詞。裳裾が濡れるのもこの頃の流行りだったようだ。
また『源氏物語』の葵の巻に
加茂祭の牛車争ひのあとに光源氏の扱いが冷たいのに六条御息所が詠んだ歌。この歌は『源氏物語』の歌の中でも一番だと評されているのだという。和泉式部にライバル心を燃やした紫式部だったから頑張ったのかもしれない。
NHK短歌
やる気が出ないこの頃。NHK短歌(先週分)を観る。今週はそれほど面白くもなかった。やる気がないせいなのか?
投稿しても引っかかったことがないから、やる気もでない。どうモチベーションを高めているのかな。とりあえず『百人一首』本歌取りが出来るようにすることだった。今週のお題に挑戦しよう。
今48番まで公開したのだが、100首になったらまとめて出そうと思う。
「店員」は昨日の「サイゼリア」(また間違えた「サイゼリヤ」が正しい)の定員がいいかな。冷房が故障していて、そのことを客に伝えなければならない気持ちとか。
これをアレンジして下五を変えればいい。
もう一つ「?(疑問符)」。同じサイゼリヤで投稿。
古今集
古今集の半分は四季の歌で「歳時記」の原型になったという。例えば、「春上」の分類は
春は「春上」と「春下」の二巻、夏一巻、秋も二巻、そして、冬が一巻。
さらに筋目の歌を重要な歌人が詠んでいる。
この歌は儒教の聖典である漢詩文が元になっており、四季の循環の後に立春の喜びを歌う勅撰集には相応しいものだという。その他重要な筋目に重要な歌人が置かれた。
歌を献上せよと言ったのは醍醐天皇で天皇の命を受けて勅撰集が紀貫之に任せられ四季歌の終わりに最新の紀貫之の歌が納められたのである。このことかも紀貫之の最重要性がわかるという。
また『古今集』は景物を組み合わせて絵画的に詠むという特徴も和歌の形としての型を作り上げたのだ。例えば梅と鶯というような。夏は橘と時鳥、秋は月に雁(これは切手の絵でも有名)、冬は春霞と雪という風に二つの別物を組み合わせるのは後の俳句の二物衝動に受け継がれたようだ。
たとえば花(桜)と霞の組み合わせは「霞」の歌30首のうち14首が桜の歌だという。『万葉集』には春の霧が立つ歌は70首あるのだが、このような例は2首しかない。「花を隠す霞」という捉え方は紀貫之の歌の中に集中している。
最後の「三輪山」を隠す霧は『万葉集』額田王の歌を踏まえている。
景物の組み合わせは、古今集の四季歌の特徴が端的に現れているという。景物としての「ことば」が二物衝動によって詠み手の「こころ」を現すのだ。
俵万智のTwitter短歌について
俵万智のTwitter短歌が話題なのだが、そこまで褒められる短歌なのか疑問に思う。
ただの感想ではないのか?それだけ一般的に共感を得る歌なんだろうけど、イーロン・マスク氏に対しての怒りの感情も希薄で、結局はそれを受け入れるだけの現状世界肯定するしかない歌のように思える。まあ、それがほとんどTwitter民の共感性なのか?と思うと疑問だ。俵万智が短歌Twitterでバズること自体がもっとイーロン・マスクに対して強く抗議してもよさそうなものだが。この程度なら誰でも詠めそうな気がする。ならお前が詠めばということなんだろう。短歌は詠まなかったが俳句は詠んだ。
まったく反響がなかったけど、河童忌があったのと遠野に旅行に行っていたのでTwitterのニュースもどうでもよかったのかもしれない。ただ芥川龍之介を匂わすことで「ぼんやりとした不安」を表現したかったのだが俳句では短すぎた。
短歌にすると
まあ俵万智の過去の偉業に知名度によるものだから仕方がないのだが。自分で死亡説ネタはやめたほうがいいと思う。今でも十分人気があるのだから他の歌人の嫌味になる。
うたの日
やっと「うたの日」に辿り着いた。いま出しても結果は明日になるので、こうのnoteも明日以降になるのだが。
お題は「若」は30分で作れるか?アイデアはあった。あとは「百人一首」の方だ。
これはやったかもしれない。もう何をやったかもわからなくなっている。
何を言っているのかわからんが分かる人にだけわかればいい。もうこの件は忘れたいのだ。今日も♪一つの最低だった。やる意味があるのかと思案する。
映画短歌
『パラダイス/半島』
『百人一首』
将棋の穴倉戦法です。