テキストは『長谷川龍生詩集』。寺山修司『戦後詩』は一時的に返却したので、今日はその中で気に入った詩『恐山』を書いた長谷川龍生の本を借りてきたので、その中から彼の代表作(デビュー作と言ってもいいのか)『パウロウの鶴』。
「パウロウ」は地名か。検索したが出てこなかった。架空の地名ということにしておく。「鶴」は何度も書くように象徴だ。これは象徴詩なのだ。「パウロウの鶴」からイメージされるもの。まずその鶴の説明から。強い羽の飛翔力という。空間の霧をたちきりというのは、晴れやかにする様だろうか?そういう詩の世界。彼らは数千羽という群れで羽ばたく。戦後の若鳥という感じか、その羽ばたきが耳の奥にひびいてくる。情景的に素晴らしいのかな。それは理知的な描写なのだろう。
まず象徴を何にするか?翔べない鳥だよな。グロテスクな鳥でハシビロコウを考えたがいきなりハシビロコウは存在感が強すぎて負けそうだ。それにハシビロコウは飛ぶだろう?飛翔というほどでもないか。候補に入れておこう。駝鳥で駄目そうだったらハシビロコウに入れ替えよう。
情景はこんなもんか。実際に観察したわけでもなかった。ただ野毛動物園に駝鳥がいた記憶があったのだ。
それと高村光太郎の「ぼろぼろな駝鳥」の詩もあった。
「ぢゃないか」のリフレインを使いたい。
絶望から夜明けに向かっている希望か
若さだな。エネルギッシュな詩だ。