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石を投げる距離の問題
『増補新版 韓国文学の中心にあるもの』斎藤真理子
なぜハン・ガンは、アジア人女性として初めて、ノーベル文学賞を受賞したのか?
大きな話題を呼んだ原著に、この2年、激動する韓国文学の重要作の解説を加筆、40頁増の新版登場! 韓国文学は、なぜこんなにも面白く、パワフルで魅力的なのか。その謎を解くキーは「戦争」にある。
・著者メッセージ
本書の初版は二〇二二年七月に刊行された。その後二年と少しの間に、新たに多くの韓国文学が翻訳出版された。増補新版ではその中から注目すべきものを追加すると同時に、初版時に紙幅の関係などで見送った作品にも触れることにした。特に「第7章 朝鮮戦争は韓国文学の背骨である」の章に多くを追補している。
その作業を進めていた二〇二四年十月に、ハン・ガンがアジア人女性として初のノーベ
ル文学賞を受賞した。本書を読めば、ハン・ガンが決して孤立した天才ではなく、韓国文学の豊かな鉱床から生まれた結晶の一つであることがわかっていただけると思う。
海外文学には、それが書かれた地域の人々の思いの蓄積が表れている。隣国でもあり、かつて日本が植民地にした土地でもある韓国の文学は、日本に生きる私たちを最も近くから励まし、また省みさせてくれる存在だ。それを受け止めるための読書案内として、本書を使っていただけたらと思う。(「まえがき」より)
目次
第1章 キム・ジヨンが私たちにくれたもの
第2章 セウォル号以後文学とキャンドル革命
第3章 IMF危機という未曾有の体験
第4章 光州事件は生きている
第5章 維新の時代と『こびとが打ち上げた小さなボール』
第6章 「分断文学」の代表『広場』
第7章 朝鮮戦争は韓国文学の背景である
第8章 「解放空間」を生きた文学者たち
終章 ある日本の小説を読み直しながら
「高橋源一郎の飛ぶ教室」で紹介されていたが、偶然にも借りていた。ハン・ガンのサブテキストぐらいに思っていたのだが、韓国文学史を韓国の歴史から紐解いていく。日本でも話題になったチョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジオン』からハン・ガンのノーベル賞まで疑問が解けた感じである。チョ・ナムジュの本は豊かになった韓国社会とそれでも幸せになれない女性のトラウマを描いているのだが、それから韓国のフェミニズムはさらに過激になっていくのだ。そこには韓国では朝鮮戦争がまだ継続中のリアルさがあった。
その朝鮮戦争が継続中(休戦中)なので、男子には徴兵制があり、それが差別社会だと男女間の争い(分断社会)がますますフェミニズムを鍛えていく。
そうした中で光州事件やセウェル号の沈没事故もあり韓国社会の歪みが明らかにされていく。ファン・ジョンウンの小説はそうした分断の葛藤を暴き出している。
日本はアメリカによって守られ朝鮮戦争で繁栄していく。その朝鮮戦争当時の日本の社会も激動の中にあり柴田翔『されど我らが日々』が書かれていた。ここに朝鮮戦争を巡る議論も書かれてあるのだが日本人はそこを読み取れなかった。そしてヒモのような生活を続ける主人公を肯定してしまうのだ。
その世代が村上春樹なのだと思う。彼のメタファー鼠や犠牲になる女性は書かれているのだが、主人公はなんとなくアメリカからやってきたポップな世界を楽しんでいるのだ。その歪みは個人の男女関係のラブアフェア(恋愛小説)として描かれるので社会問題化されにくいのかもしれない。
また戦後世代の記憶として向田邦子や野坂昭如の貧しい時代の雰囲気はあったのだが、そうしたものをアメリカのポップカルチャーが凌駕していく。その中にヴェナム戦争とかもあるのだが、ヴェトナムは遠くにありにけり(朝鮮戦争より遥かに遠くTVの中の世界だった)。
現在も韓国社会は激動の最中にあり、そうした中にいる作家たちが次作を執筆中であるという。
あとがきに「石を投げる」喩えが良かった。石を投げるのはいつも同じ距離しか投げられないが、その位置が韓国ではどんどん前進しているのだ。それはハン・ガン『別れを告げない』でも済州島4.2事件の記憶は光州事件の者たちの記憶を呼び覚まし、さらにセウェル号の記憶が再びそれらの記憶をサルベージするのだった。韓国では大事件が起きる度にそうした記憶の中で問題が反芻されていくのだろう。歴史と繋がった国の姿が彼らの文学にはある。村上春樹は卵を投げるのだが。