シン・俳句レッスン65
銀杏落葉。今朝の日記で濡れ落葉で一句詠んだのがちょっとひどすぎると思いやり直し。
やっぱこのぐらいの俳句を作るように努力せねば。
銀杏の濡れ落ち葉を平家没落に喩えた。
俳句いまむかし
坪内稔典『俳句いまむかし みたび』から。
春
冬が終わったので春に行こうか。ちょっと気分を明るくして。
『俳壇坂本の会』という家族で俳句を詠んでいる一家らしい。そういう家に生まれたかったよ。虚子家みたいなものか?
そうだ。行分け俳句をやってみるのだった。そう言えば今日AIと人間の俳句対決のようなニュースがあったが、AIが勝ちとか言っていた。これも有季定型ならそうなるかもしれないが、行分け俳句を突然AIは作ることが出来るだろうか?創造性ってそういうことだよな。ルール内でしかAIは存在出来ない。まあ人間に反乱するAIも映画では登場しているが?
「俳壇虚子の会」の人の俳句。「かもなにかも」のリフレイン効果。
「はたき」は今は存在しないという。確かに「はたき」はないな。昭和の遺物か?クイックルのホコリ取りは何ていうのだろう?「ホコリ取り」か?「ほこり」は春の季語だった。「春埃」
大掃除にならない。これは行分け俳句にはならない。
そもそも寒の入りはいつなんだ?1月6日だというからまだ「寒の入り」でさえないんだ。今は何?「大雪」だそうだ。地方は雪の便りを聞くからな。
ここは俳句練習帖だから。
鶏の卵の暖かさは都会では知ることがないな。
実際はわからんけど、春になったらまた卵が値上がりしていそうだ。
方言の口語俳句か。「ねかも」は寝ていたかもかな。口語俳句にもチャレンジしたい。けど方言は使えないし、若者言葉もダメ出しな。口語にならないんだよな。ネットスラングとか?
これな俳句を口承しない人にはわからないことだった。他にも「馬鹿馬鹿と言うと口あき春の空気」がある。
そういえば母音の連なりとか研究したりするんだよな。
例えば
sousyunntoiutabinikutibirugatogaru
だったら「い」と「う」が多いとか。だから唇がとがる。
漱石は虚子のところにいたけど写生句ではなく観念の句だよな。だから漱石の俳句は好きなのだが、この句も「冴返る」という季語から観念的に派生した句だろう。鶴だよな。亀だったら冴え返るとは言わないよな。
「冴返る」は「寒戻り」と対置するのではないか?
『ブギウギ』だった。
「ソース」かは疑問だけどそういうことはありそうだな。そうか「ソース」というのは「ソース焼きそば」の匂いなんだ。だったら桜の方が良くないか?
今流行りの三句切れ。流行りにしてしまえば、邪道も正道になる。これこそ行分け俳句にすべきかもしれないな。
突然思ったのだけど行分け俳句は、すでに海外では当たり前になってないか?何故海外はひと続きで表記しないのだろう?ひと続きで書いている人は見たことがない。海外の常識、日本の非常識か?でも海外の行分け俳句は成り立ちが違うのかなとも思う。例えば上の句を英訳すると。
AIで英訳してくれと言ったら宿仮まで英訳しやがった。
桜一輪の感じが出ないな。横文字に対して縦読みで桜一輪なんだが。でもこの英詩はなんかいい感じだ。ただこれは日本のソースではなくシロップだよな。スイーツな感じがする。
さすが芭蕉は上手いな。これは桜では花粉症気味で手に鼻水が付いてしまうが梅ぐらいの寒さではその音と共に情緒がある。
やっぱ芭蕉の句では英訳できないのかな。薔薇(rose)にすればnoseと韻を踏むのではないか?難しそうなんでやらないが。