秩序と無秩序の狭間で溺れないために
『災害ユートピア――なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか』レベッカ・ソルニット, 高月園子 (翻訳) (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)
内容紹介
「お互いに助け合い、秩序を持って行動する日本人の姿はすばらしい」と言われる。しかし、実は災害時のそうした行動は、日本人だけではなく、世界中で共通してみられるという。
著者のレベッカ・ソルニット氏は1989年にカリフォルニア州でロマ・プリータ地震に遭い被災している。その経験をもとに、1906年のサンフランシスコ地震から2005年に起きたニューオリンズのハリケーン被害までを取材・研究してまとめたのが本書である。
「大惨事に直面すると、人間は利己的になり、パニックに陥り、退行現象が起きて野蛮になるという一般的なイメージがあるがそれは真実とは程遠い」と著者は言う。「地震、爆撃、大嵐などの直後には緊迫した状況の中で誰もが利他的になり、自身や身内のみならず隣人や見も知らぬ人々に対してさえ、まず思いやりを示す」。災害時に形作られる即席のコミュニティは「地獄の中で」他人とつながりたいという、欲望よりも強い欲求の結果である。災害を例にとり、社会や人間心理の本質に迫っている。
自然災害で起きるユートピアがあるという。人災で起きるディストピアがある。戦争はまさにそうしたディストピアの現れだ。この二つを比べてみると災害で起きるユートピアは、市民による炊き出し、助け合い。それは自治体というよりは主婦層から始まるように思える。おばさんたちの力。それに対するのは自治会や政府のおじさんたちの力による支配がある。まさに戦争はそうした力なのかもしれない。戦争ディストピアという言葉を思い浮かべた。
第一章 ミレニアムの友情:サンフランシスコ地震(1906.04.19)
「中年女性、ふくよかな美人」ミセス・アンナ・アメリア・ホルスハウザーは自宅ベッドから投げ出され、床の上で目覚めた。ダウンタウンにある自宅は壊滅状態だが、広大な公園(ゴールデン・ゲート・パーク)でテントを作り炊き出しをする。数人の女性が集まってきて、たぶんつられるように旦那連中もそれに加わった。エドウィン・エマーソンの回想。
家を失った人々のテントや、ドアやシャッターや屋根材で間に合せに造ったへんてこな仮設キッチンが街のあらゆるところに出現すると、陽気な気分がひろがった
音楽を奏でる者が現れ、復興しつつあるサンフランシスコの見慣れた光景になり、結婚許可証を扱う職員は忙しくなった。自然災害は多くの被災者を生み死と喪失を招くが新たに生まれるものも多くある。それまでの秩序が崩壊した後に新しい秩序が生まれる。
エリートや権力者は災害に対して秩序を守ろうと指導的になるが、それは旧弊した秩序の中でのパニックを引き起こし弾圧する。うろたえる権力者たちの様相はしばしば体験されているのだ。金持ちは無秩序な民衆という考えに脅え軍隊を派遣する。そこに見られる不平不満の声。
第二章 ハリファックス(1917.12.06の爆薬を積んだ貨物船炎上事故)からハリウッドへ──大論争
ハリファックス大爆発事故は第一次世界大戦中でもあり、軍隊が指導したが兵士は市民生活に干渉しなかった。やがて全世界から支援物資と共にボランティアがやってきた。宗教や階級社会は一時的に解かれて自律的な助け合いが行われていく。牧師であり社会学者サミュエル・ヘンリー・プリンスは1920年の論文で
「かつての慣習は崩壊し、不安定が支配する」「大惨事は常に社会に変化をもたらす。それは進歩だとは限らない」「苦しみのない世界は崇高さのない世界だろう」「軋轢と危機は......醜聞になる寸前にもなっていった」「ボランティアたちは.......系統だった支援というものを理解してもらうことなど到底望めない」
扇動的な情報源は、ル・ボン『群集心理』だった。しかし、同時に無政府主義者クロポトキンの文献も引用する。災害に対する知的反応と実質的反応と。ル・ボン『群集心理』は個人は集団になると自分を見失う。本能に則った野蛮人になる。しかし、巨大地震が起きたときに集団として自分を見失ったのは権力側だった例がある。関東大震災だ。憲兵隊はそれに乗じて大杉栄ら無政府主義者を虐殺した。また利他主義がスケープゴートを探しだし朝鮮人を虐殺した。ナチス群衆による「水晶の夜」も同じである。
クロポトキンの相互扶助は、トルストイを動かして、迫害を受けた囚人たちをカナダに移住させた。プリンスによるクロポトキンの引用。
大惨事と、それまでの正常な状態の突然の終焉は、英雄的行為の起爆剤となり、親切や気前の良さといういった社会的美徳をうながす──その一つの形が相互扶助である。新しい状況により、そういった資質を解放する機会を得られたといったほうが、より正しいだろう。
相互扶助VS.ダーウィン主義信奉者の議論。
ロンドン大空襲から(1940.09.07)
指導者たちは(空襲を行った側も受けた側も)住民がパニックに陥って混乱すると見ていたが実際には住民は地下鉄にに潜り込み共同生活をしていた。しかし、政府はこの行為は認められないと国民に訴えた。後に映画『ロンドンは耐えられる』というプロパガンダ映画が作られることになる。実際には地下鉄で爆発があり大勢の市民が犠牲になったが政府はそれを隠した。
焼夷弾を消化した女性は、上司の無理強いに反発する力を得た。彼女らの行動は大胆になる。ロンドン大空襲は、人々にポジティブな生きる力を与えた。逆にイギリス軍が行ったドイツ爆撃でもドイツ人の戦意はくじかれるよりも増していった。
元陸軍航空大尉の社会学者チャールズ・E・フリッツの研究、災害学には空襲を受け続けた住民は、
「このような状況のもとでは、国民はパニックに陥り、戦争に疲弊し、家族や友人の死や負傷で悲しみにくれ、長引く窮乏生活に憤り、未来については不安で幻滅し、個人的にも社会的にも士気の喪失を表す振る舞いをしているものと推測される。ところが、実際には国中で輝かんばかりに幸福な人々が最大限に人生を楽しみ、驚いたことに、快活さと人生に対する愛を謳歌していたのだ」
フリッツの研究が明らかになると軍の上層部が集団誘導のコントロールに活用できないか考えた。そして、住民がパニックをきたすとしたステレオタイプの情報を流していく。強い権力者の元で管理を求めるのだと。フリッツの論文は災害がもたらす自己意識の変革、相互扶助と利他主義へと変化していく。しかし、現代では災害はトラウマとPTSDのみで語られていく。我々を弱さの中に閉じ込めておくことは、権力者にとって好都合なのである。災害ショックは我々を新たな目覚めに気付かさせる。
ハリウッドの活躍するヒーローは、住民がパニックを引き起こしヒーローたちの力によってコントロールされることを望む。そこに登場する超超人的ヒーローに対して、我々はあまりにも脆弱に描かれる。英雄的なマッチョな男にすがりつくヒロインの構図。
『チャイナシンドローム』では女性レポーターのジェーン・フォンダが核技術の問題点を明らかにする映画で、今までのヒーローものとは違っていた。災害映画は、住民には手に負えない怪獣や敵にたいして少数の選ばれたヒーローが大多数の住民を救い出す。だが実際は大多数の相互扶助や利他主義によって変革が生まれるのだ。
第三章 カーニバルと革命──。メキシコシティ大地震(1984.09.19)
災害は自然が起こすものだが被害拡大をもたらすのは人災によるものが大きい。特に発展した都市では高層ビルなどの倒壊に伴う犠牲者が出る。メキシコ地震でも多くの高層建築物が崩壊したが、政府は人命救助よりも経済政策の奔走する。国民の目には大統領は不要に思えて市民運動が活発化する。
お針子たちは、機械だけを救う経営者に反旗を翻し労働組合を立ち上げ助け合う。汚職や不正選挙が横行したメキシコが変化するのは、2000年になってから。
中国では天災(地震)を治者が天命を失った印とみる。そして、2008年の四川地震では中国政府は秩序の締め付けが強まった。エリート層は利益を優先させ、社会の混乱を恐れる。ニカラグアの地震では、サンディニスタ革命が起こった。ソ連の崩壊は、チェルノブイリ原発事故がターニング・ポイントだった。
しかしそれはある時の一面でしかなく、人間の相貌性とも関わることだが、災害のあとに、そういうユートピア的解放区が存在するのは確かだと思う。
1790年(フランス革命一周年)ワーズワースの詩
時まさにヨーロッパ全土が歓喜にわきたち、
フランスは幸福の絶頂になり、人間は
うまれかわるかのように見えた時期だったのだ
そうして、まるで馥郁とした香りのように、また
どんな片田舎の土地も、必ず訪れる春のいぶきのように、
いたるところに情愛と幸福とが広まっているのをじかに見ることが出来た......
宿無しだったわたしたちは、宵の明星のもとで
自由を祝うダンスを見たり......
フランス革命でイギリスの詩人ワーズワースがそうした解放区に感激して詩を残しているがそれ以降フランス革命は残虐行為があり、後に保守的な詩人になったという。
メキシコ・プロレス、ルチャリブレは「自由なる戦い」の意味。覆面=匿名性(アノニマス?)がメキシコ大震災の後に話題になった。スーパー・バリオは追い出される地主と戦い貧者を助けた。日本のタイガー・マスク(伊達直人?)日本では、安倍マリオの方が今は有名か?
第四章 変貌した都市:悲嘆と栄光のニューヨーク(2001.09,11)
「災害ユートピア」だったら「戦争ディストピア」かな、とちょっと前に思ったのだがそれも一面でしかなく、有為転変(早くも読書の影響)ということなのだろう。9.11直後に、ツインタワーの人々がお互い助け合っていたという。3.11直後もそんな雰囲気だった。しかしそれはある時の一面でしかなく、人間の相貌性とも関わることだ。
ビル崩壊直後にビルから追い出された人の援助活動が始まり誰もが悲しみを共有した。相互扶助と利他主義へと変化していく中で、ブッシュは狼狽えていた。低支持率だったニューヨーク市長ジュリアーニは自分の手柄をマスコミで広め、消防士や救助隊の英雄像がメディアに踊った。ボランティアの一般市民は話題から遠ざかって新たなヒーロー像が敵と共にTVで映し出された(男たちばかり映し出された)。ツインタワーの映像はTVで繰り返されて彼ら(ブッシュの呼ぶアメリカ人)の問題となっていく。
アメリカ政府はテロリストが飛行機に乗る2時間前に情報を掴んでいながら阻止できなかった。ペンタゴン激突を押さえたのは、飛行機乗っていた乗客らだった。彼らはすぐ判断できた(客室乗務員らの女性もいた)。自ら犠牲になることを。その間ブッシュは判断不能でディック・チェイニー副大統領にすべてを任せてしまった。
第五章 ニューオリンズ──コモングラウンドと殺人者エピローグ──廃墟の中の通り道(2005.08.29)
エリート・パニックについて、始めて知った。大災害時に避難場所が混乱することはよくあるという。行政が裁ききれない避難民が押し寄せてくる。また市民社会のルールというも地域的(村社会)だ。ハリケーン・カトリーナの惨劇は、ことの発端は、ニューオリンズの2万人の市民がダウタウンのスーパードームに避難してきた。その恐怖と不安から市長と警察署長は管理能力を失い、外部への緊急要因を要請した。スーパードームでは必要なものは手に入らず略奪が横行していた。人命救助を優先させるよりも物を守ることを優先させた(混乱時の中での秩序)。住民を押さえつけるのに自動小銃と州兵が動員された。
必要なら射殺も止む得ない。市民は隔離され移動の自由を制限される。隣の州では難民(避難民)が大量にやってきて混乱させるかもしれないとニュースが伝える。自治組織が出来、黒人地域から白人地域への分断政策が取られる。暴動黒人が襲ってくるという噂が飛び交い、銃社会故に市民は武装し、惨劇が繰り返される。このときにブッシュは最低支持率となり、ニューオリンズからオバマが出てきたのだという。
日本でも関東大震災で経験したことだ。新聞さえも略奪朝鮮人が反乱を起こすと掻き立てた。ドサクサに紛れてアナーキストである大杉栄と伊藤野枝は息子と共に虐殺された。
大災害で現場にいるものだけが不安に襲われるのではなく、TVやネットで映像だけのニュースを見せられて不安を煽られる。そこに事実が確定してない情報(そういう情報を流す愉快犯もいるのだ)があっという間に広まってしまう。普段から良くない印象を持つ人種差別が横行するのだ。ジェノサイドは、噂から広まっていくのはこれまでの歴史が語っている。
恐怖心がある。特に無力さを感じる恐怖心は強い者に頼りたくなってくる。それは権力側の秩序維持を望む者たちだ。大災害時に起きる無秩序状態は、その場で必要なものを調達するのだ。略奪も食料や薬ということもあったようだ。実際に現場にいない者は人伝に情報が流れてくるのだ。そこには差別感情も排他的な感情も紛れ込んでしまう。
現場で判断する者と自身は安全な場所にいながら不安に思う者と。そしてニュースは統制されて、あやふやなネットの噂がはびこる。その噂に踊らされないことだ。特に権力側の情報操作には。
【編集部より】
本書は2010年12月の刊行ですが、2011年3月11日の東日本大震災以後、全国の書店から多くのご注文をいただくようになりました。また、新聞・雑誌・ブログ等で次々と本書が紹介されるようになりました。なんとも複雑な思いですが、このような時だからこそ、一人でも多くの方に読んでいただきたいという思いもあります。
また、著者のレベッカ・ソルニット氏は自身のホームページで、日本へのメッセージを発信しています。日本語訳付きです。
http://bit.ly/eQwe6Y
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