「世紀の闇を見よ」鶴彬の川柳
『反戦川柳作家 鶴彬』深井 一郎
鶴彬(つるあきら)は、1909年生まれ。川柳で活躍し始めたのが大正から昭和になる頃だった。新興川柳作家として本名喜多一二の名前出ていた。田中五呂八に師事。「田中五呂八イズム」として「詩としての川柳、芸術としての川柳」を追求していく。既成宗教への反発やニヒリズムが強い作風。
「蒼ざめたバッド」は煙草「ゴールデンバッド」かと思われる。
昭和になり「鶴彬」として再デビューするのは大阪で転居、井上剣花坊主宰の『川柳人』に加入してプロレタリア川柳を拒まなかった。このことはニヒリズムからプロレタリアへの脱却を公言するようになる。「退けば飢ゑる」はプロレタリアの道を示した句だろうか?
「寿命だと」は『川柳人』最後の句を残し軍隊へ行く。
軍隊で「赤化事件」を起こし裁判にかけられる。懲役一年。
除隊後鉄工所に勤める。4年の軍隊生活。剣花坊「王道主義(反マルクス主義)」を主張。「闇にねる」はどこにも発表する場所がなくなった自選集の句。
除隊すると石川啄木並の三行詩を書き始める(当時流行だったようだ)。
「瓦斯タンク」の句は同じ頃の一行句。その後空白期があり評論で活躍する。「美的なるものは階級的なもので貧しい少女は花をみても食料のことしか考えられない」「定型律、図式主義への抵抗」
井上剣花坊の妻、井上信子の川柳誌『蒼空』に加入。川柳の大衆性を見出す。「女工」「身売り」「失業者」をテーマとした川柳。
「編窓あけ」は「自由律川柳」。
「丸太」は鶴彬のもっとも有名な川柳であり、摘発があり極死する。
最後は井上信子らの手で建てられた句碑。