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シン・現代詩レッスン65

鮎川信夫「橋上の人」

「橋上の人」は「繋船 けいせんホテルの朝の歌」に後に書かれた長編詩(実際は掲載順なのでよくわかない。初出は「橋上の人」の方が古いということだった)。で、「橋の上」から「繋船 けいせんホテル」を見る感じなのか?そう言えば映画『泥の川』は橋の上から始まっていた。原作ではどうなんだろう。宮本輝は苦手なんだよな。読む前から苦手。

橋上の人

彼方の岸をのぞみながら
澄みきった空の橋上の人よ、
汗と油の溝渠のうえに、
よごれた幻の都市が聳えている。
重たい不安と倦怠と
石でかためた屋根の街の
はるか、地下をすべりぬける運河の流れ、
見よ、淀んだ「時」をかきわけ、
櫂で虚空を打ちながら、
下へ、下へと漕ぎさっていくへさき の方位を。

鮎川信夫「橋上の人」

それほど難解ではないと思う。語彙の意味が不明なのはあるが。溝渠は跳ね橋だろうか?勝鬨橋とか昔そうだったみたいだ。

上の写真もビル群が見える。下を隅田川が流れる。「石で固めた屋根の街」は、そうしたビル群の街だろう。ベンヤミンのパッサージュを意識しているのか?はるか地下をすべりぬける運河の流れは暗渠のようだ。「淀んだ「時」というのは敗戦からの復興なのか?

「櫂で虚空を打ちながら」は手漕ぎの船で下流へと下っていく 舳は船の先端。つまり幻の都市も下流へと下っていく暗部が見えるということか?鮎川信夫の戦後詩は、批評的であり希望は見出さない。橋は彼岸と此岸の境界であるから彼岸が見える幻想詩だろうか?澄みきった空は秋の情景?

観覧車

未来都市の向こうの観覧車は光り輝き
濡れた恋人たちを運んでいく曇天の空
雨風を凌ぐビルの中は
いつか見た映画のゾンビ・タウン
疲労した足を引きずりながら
動く歩道を歩こうとすると
ゾンビの恋人が道を塞ぐ
泥の川は海にそそぎ
無数の 水母 くらげが窒息しそうに群れていく
しかし、夜になればライトが照らされ
闇は消されていく

やどかりの詩

桜木町の「みなとみらい21地区」を当てはめた詩。海月の大群はいつかニュースでやっていた。


〈略)
橋上の人よ
まるで通りがかりの人のように
あなたは灰色の街のなかに帰ってきた。
新しい追憶の血が、
あなたの眼となり、あなたの表情となる「現在」に。
橋上の人よ
さりげなく煙草をくわえて
あなたは破壊された風景のなかに帰ってきた。
新しい希望の血が、
あなたの足を停め、あなたに待つことを命ずる「現在」に。
橋上の人よ

鮎川信夫「橋上の人」

「橋上の人」のリフレイン。彼は旅人なのか。時間の旅人かもしれない。それは「過去」からやってきた人だろう。彼は希望を抱いていた。しかし今は足留めされているのだった。Mだろうか?鮎川信夫の戦後詩はMの影がちらつくように思える。

ちょっとBGM。「恋人も濡れる街」。

横浜じゃないか?ベスパ(二人乗りスクーター)はいいな?

恋人よ、
その昔、君をベスパに乗せていく埠頭
あの頃誓い合った言葉も虚しく
暗渠の中に閉じ込めて
今は動く歩道の上で足留めされている
同じベルトコンベアーで運ばれていく ゴーストとなって
恋人よ、
観覧車に乗るのさえ我慢していたんだ
それはすでに過去の記憶を虹色に染める
だが、血塗られた涙を忘却して
その一回りで一生の負債という借金地獄の中で
どこまでも見栄をはり偽りの仮面をつけている
恋人よ、

やどかりの詩

恋人はちょっとショボかったかな。女とは言えないし。難しいのだ。母にするとベスパ乗れないし。



父よ、
悲しい父よ、
貴方が居なくなってから。
がたんとした心の部屋で、
空いた椅子がいつまでも帰らぬ人を待ってます。
寒さに震えながら、
あなたに叛いたわたしは、
火のない暖炉に向かいあっています。

鮎川信夫「橋上の人」

橋上の人は八連の詩だった。最後がいい。ここはそれほどでもないが転換点かもしれない。起承転結の転の部分。

母よ、
裏切った息子を許せよ、
捨て猫だけを置き去りにして
それを息子代わりと思えばいいさ、と
捨て猫がいなくなってから
母は悲しんだ。まるで本当の息子が死んだように
たくさんの水母 くらげは暗渠を流れゆく

やどかりの詩

マザコンだな。ファザコンか、マザコンかどっちか選べというとやっぱ母だよな。いつもそう言って育てられたから。
実はⅧが一番いいのだけど、鮎川信夫の詩のイメージを壊しそうなのでここまで。


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