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シン・現代詩レッスン71

鮎川信夫「ミューズに」

「ミューズ」というのは詩神でホメロスの時代から登場してくる、詩の女神なのだ。なにゆえ女神か?男が詩を作ったからか。女は詩を作らなかったのか?女の詩人は巫女であるから現実的なのか(予言という実際に当たらないと人柱にされたりするのか)。

男性のミューズを検索したら、ミューズメンという石鹸が出てきた。加齢臭を消す石鹸なのか?ミューズも泡のようだし、なかなかこれはいいのではないか(高すぎるが)?

「ミューズ」というと一番に思い出すのがボードレールのミューズ。フランス男性としては異国の娼婦を「ミューズ」に仕立てて詩『悪の華』を書いたとか。そのミューズ側から「ブラック・ビーナス」という短編で男の消費物でないと描いたのがアンジェラ・カーターなのか?それは女性の身体を男の消費物にするというフェミニズム的な思考なのだろう。

ただボードレールにしてみれば消費物と考えはなく、『悪の華』に永遠のミューズとして焼き付けようとした。男に取って、そうしたミューズは過去の文学作品にも多く、ブルトンの『ナジャ』もシュルレアリスムのミューズとして書かれている。

ミューズに

おおきな眼を空洞にして
黒いミューズが呟く
わたしの涙をあなたが泣く
そんなことってあるかしら

あるか あったか知らないけれど
樫の木が笑う 金木犀が笑う
夜空の星たちが笑う
………コミュニケーションの失敗だ

鮎川信夫「ミューズに」

男が想像するミューズの姿は現実の女の姿ではなく、それはファンタジーのような「樫の木」が喋ったり、「金木犀」に襲われたりすることなのだろう。つまり自然とのコミュニケーションに失敗しているのだった。

黒いミューズは怒り狂って叫ぶ
嘘つき!詩人の資格なし!
ぼくらは闇の物象の
奇妙な ぞめき笑いの中に立ちつくす

そこにいるのか いないのか?
沈黙は共通の敵だから
ぼくは喋べらなければならない
………共通の穴である深い井戸にむかって

鮎川信夫「ミューズに」

詩人の詩なんてまやかしで、滑稽な笑いしか呼び込まない。
それは沈黙が彼(詩人)の死とミューズの死を意味しているからなのか?
つまり行為することはくり返し砂に埋れる「砂の男」のようではないのか?しかし、そこは深い井戸だったのである。「深い井戸」とは欲望の井戸だろうか?

黒いミューズよ
きみがすっかり眼をとじるまで
何度でもくり返さなけれならない
「あなたの涙をわたしが泣く」と
触れあうたびに遠くなる
ぼくらはみだらな存在だ
きみの花柄のパンティを脱がすためだったら
………詩なんかいつだってすてらるさ

鮎川信夫「ミューズに」

「………」は砂の落ちる音のような。無為の言葉なんだろうな。だからここでは実際にパンティを脱がすよりも詩を書いているのである。逆説なのだ。「あなたの涙をわたしが泣く」というのも逆説で、本当は「わたしが涙してあなたが泣く」ように装っているのだった。みだらな存在であるのもイメージに過ぎず、実際にはミューズが眼を閉じた世界にいるのだった。

ここで思い出すのは安部公房の『砂の女』だった。あまりにも観念的な世界であり、実際にはインテリ文学のように捉えられている。しかし、実際は逆であり安部公房は大衆の文学を求めていたのだ。

それは文壇への反発があったようなのだが、芥川賞を受けることによって、その文壇への享受があった。そこに流行作家という安部公房の位置づけがあると思う。安部公房で一番面白いと思うのは山口果林の暴露本かもしれない。山口果林のパンティを脱がしてしまったんだよな。

泡姫 ミューズ

姉さんは泡姫となってぼくたちは潜伏した
いまじゃ歌舞伎町のミューズだった
姉さんが修羅雪姫だとは知らない男たち
姉さん、本当は毎日ぼくのために泣いてくれるのだろう
でも、姉さんはそれは快楽のためだという
嘘の演技も本当のことも
この世界はごちゃまぜだ!

だから姉さんが静かに眠った時に詩を捧げる
その手記を見るといつも破り捨てて怒鳴る
また違う女の夢を見ているお前は
現実を知らないねんねだね

ぼくはそれでも秘密の手記を書いているのさ
本当の姉さんとぼくたちのことを
それが泡姫伝説となるのは遠い遠い先のこと
姉さんは花柄パンティなんて履いてない
そこは深い深い闇の世界だ………

やどかりの詩

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